• 2023年4月23日締切回 結果発表

    大賞
    『明日世界が終わる世界』
    藤原ハル

    受賞作のあまりの少なさから終了することになった「週イチ漫画賞」ですが、その最後を飾るかのように、突如大賞受賞作が現れました。受賞者の藤原さんはこちらの発表スペースで初期に掲載していたコラムや、どこよりも長文であると一部で評判だった受賞作の寸評にも目を通してくださっていたそうです。業界の方には見てもらえていたのか、あのコラム…

    それはさておき、受賞作「明日世界が終わる世界」のお話。

    受賞作は、非常にレベルの高い力作です。
    確かな画力と技術に支えられたデッサンの整った人物が、パースのとれた背景の中に的確に配置され、アニメや映画のような映像的な大ゴマを作り上げています。人物の表情も非常に豊かで自然。コマ割りで引っかかるところは皆無で、するすると読み進めることができ、メリハリも非常に効いています。ストーリーに関しても新人作家さんとは思えないほど達者で、迫りくる死を目前にした人々の心情を的確に描き切ることができています。

    新人賞の読み切りを、新人漫画家さんが編集部に自分の実力を認めさせるためのポートフォリオのようなものだと考えると、この作品の評価は満点です。この作品を持ち込みされたとしたら、どんな編集部でもきっと名刺を渡してお付き合いを始めようとすることでしょう。著者さんが自身の連載作品を世に問う準備は充分すぎるほど出来ています。

    ……と、べた褒めしてきましたが、新人賞上位入賞を目指して投稿作を作成するのと連載作品を世に問うのとでは必要とされる能力が異なるのもまた事実。

    ただ連載を持ちたいというだけなら枠を与えてくれる編集部はいくらでもあるでしょうが、ヒット作を生み出して作家さん、編集部ともにハッピーになるために、以下2点の課題についてよく考えていただきたいと思います。

    ① 読者にウケる題材選び
    ② 描こうとしている題材やテーマに対する思索や勉強の不足

    順番に解説していきましょう。

    まずは①の「題材選び」について。
    受賞作のストーリー展開は非常になめらかで、不自然なところもなく、構成力や画力の高さも手伝ってそれなりに爽快感のあるラストシーンに着地しています……が、正直に申し上げますと「隕石の衝突が確定した世界で死すべき運命にある人々が色々な行動をとる」というアイデアはそれほど斬新なものではありません。筆者はスピリッツ賞や新人コミック大賞、コミティアの創作同人などで同じテーマの作品を何回も目にしています。投稿作として、あるいは好きで描いて即売会で販売する作品としてならそれでも良いでしょうが、連載の題材としてヒキがあるかというと正直疑問符がつきます。

    昨今の漫画市場は圧倒的な供給過剰が続いており、ネタや題材の時点で「面白そうだな」と思ってもらえないと、試し読みさえしてもらえずにスルーされてしまいます。

    定番の「○○もの」、例えばここ数年だと「異世界転生もの」「明治大正恋愛もの」「女の子ガンアクション」「イヤもの(女性読者向けに貧困や人間関係のマイナス面を見せていくタイプの連載)」などが大量に制作されるのは、そういったものを求めている読者が市場におおぜい存在しており、とりあえず1話目は確実に手に取ってもらえるからです。定番ジャンルに頼らない作品の場合は、単行本カバーのあらすじ紹介文レベルで「ちょっとそれ面白そうだな」と思ってもらえるかをよくよく考えなければいけません。

    今作の場合「彗星衝突で明日には滅亡が確定している世界で、それでも赤ん坊を取り上げ続ける助産師さんの話」とすれば、漠然と群像劇をやるよりも未読の人に対するヒキが強くならないでしょうか? 実際の作品では様々な人物の描写の中に助産師さんのエピソードも紛れてしまって印象が薄くなっているうえに、「この助産師さんも偉そうなことは言ってるけど自分の家族には全く向かい合っていないよね」という皮肉を入れてしまったせいで余計に「助産師さんが頑張る話」としては読めなくなっているのですが…

    新人賞の原稿は、よっぽどの殴り書きでなければ最後まで読んでもらえます。しかしながら商業連載の1話目の場合、ちゃんと腰を据えて試し読みしてもらえたらそれだけで大変ありがたいことなのです。多くの作品はその段階にさえ至らずに爆死していきます。

    特にこの著者さんのように技術力がずば抜けている場合、担当編集者も技術の高さに惑わされて、最初から負けが確定しているような平凡なネタで連載を始めてしまい、案の定鳴かず飛ばず…という不幸な事例にハマりがちです。どんなに優れた構成力も、ずば抜けた画力も、作品を手に取ってもらえなければ一切機能しません。そして、雑誌が機能していた昔とは違い、たいていの読者がデジタルの1話試し読みから作品に入ってくる現代では、題材選びで失敗した作品が途中から持ち直すことはほぼ不可能です。

    最近はずいぶんと減ってきましたが、昔は新人さんが「どうやったら売れますか?」と聞くと「余計なことを考えずに自分が一番面白いと思っていることを力いっぱい描いてくればいいんだよ!」と怒られる編集部も随分ありました。確かに、まだ背景のパースもろくに取れず、ストーリーを破綻なくまとめる力量もない新人さんが業界知識や市況ばかり気にする耳年増になってしまったら扱いにくくて仕方ない。ですが「もう下積みは充分だね」「連載作家になるための基礎体力はできているね」という段階になったら、ど素人の方が口にするような「俗っぽいこと」を考えるフェーズにもう一度立ち戻っていただきたいのです。

    連載を世に問う段階になった新人さんこそ、原点に立ち返って「売れたい!」「これにお金出す読者は日本に何人いるかな?」と、俗っぽくてなおかつ本質的なセリフを口に出してみましょう。

    「思わず手に取ってみたくなるような題材かどうか?」は、現代漫画業界において何よりも重要な要素です。受賞者の藤原さんは、これだけの技術をお持ちであればたいていの題材を漫画媒体で表現することができるでしょう。だからこそ「どんな題材で勝負するか」を真剣に考えていただきたいと思います。


    続いて課題の②「描こうとしている題材やテーマに対する思索や勉強の不足」。

    皆さんあまり自覚がないのですが、筆者は、漫画家さんというのは文筆業、つまりは哲学者やロックミュージシャンの同類であると考えています。哲学者が人生の意味や人間の生き方、世界のとらえ方について日々思索を凝らし、常人が思いつかないような見解を提示するように、ロックスターが歌詞に強烈なメッセージを込めて新曲を作るように、漫画家は自分がテーマにしている題材に関して読者よりもよほど深く考えていたり、愛着を持って勉強していたりということが必要です。そして、選んだ題材に対して「俺はこう思う」という価値観の提示をおこなわなければならないのです。

    「友情」がテーマの漫画なら「俺はこういうのが理想の友情だと思う」という主張を。「ラブコメ」がテーマの漫画なら「俺はこういうヒロインやシチュエーションに最高にグッとくるんだ、みんなも分かるだろう?」という問いかけを。「恐怖」がテーマの作品なら「俺はこういうのが最高に怖いと思うんだけどみんなはどう?」と、作者なりの何らかの価値観を提示し「俺はこういうのがイイと思ってるんだ」と読み手にコールすることが大切なのです。

    まじめな題材だけに価値観の提示が必要なわけではありません。
    エロ漫画であれば「俺はこういうのがエロいと思うんだ!」という意見を。BL同人であれば「私はこのカップリングこそが至高だと思う」という熱いコールを。殺し屋漫画であれば、実際に人を殺している必要はもちろんありませんが、代わりに古今東西の様々な先行作に触れ「俺はこういうのが最高にハードボイルドだと思う」という価値観の提示をしなければなりません。

    およそすべての漫画において著者自身の価値観の提示、主張の開陳というのは必要不可欠なものです。そして、開示される価値観の熱量が足りなかったり、底が浅かったり、基本的なことが間違っていたりすると、読者は冷めてしまい、作品に没入することができなくなります。そうならないために、一流と呼ばれる漫画家さんたちはみな、自分が取り扱おうとしている題材について何回も思索したり、他の人の意見を求めて読書をしたりします。

    受賞作は「明日人類全体が確実に死に絶えることが分かっている世界で、人はどう生きるべきか」というテーマを抱えていますが、あふれ出るテクニックを駆使して、本当に上手に、その結論を読者に提示することから逃げてしまっているように感じます。

    様々な問題から逃げ続け、不治の病に侵された(と思しき)妻とまともに向き合うことを避けてきた主人公は、奇妙な女子高生と出会い、「どうせおまけの1日だ」「行けるところまでまっすぐ走るとしますか」と自転車で旅に出ます。しかしパニックによって発生した交通事故で橋がふさがれ、それ以上まっすぐ行くことができません。「どこか、引き返す?」と問いかける女子高生に対し「俺は逃げない」と宣言した主人公は、二人乗りで川にダイブし「明日 世界が終わる世界で」「地の果てだって行けそうだ」とさわやかに宣言し、物語を締めくくるのでした。

    素晴らしい画力と絶妙な構図、美しく締めくくられているストーリーテリングに一瞬幻惑されそうになりますが、で、結局、著者さんは自ら提示した問題に対して「どのように振る舞えば人間として正しい生き方だと考えているのか」という答え合わせを行っていないように読み取れます。

    もちろん、この手のアンサーが必ずしも分かりやすくある必要はありません。オブラートに包まれた、一見すると正解かどうかわからないような答えが提示されて「本当の正解は読者がそれぞれ自由に考えてほしい」と締める場合もあります。

    けれどこの作品は、何らかの価値観を持っているが演出上の都合でわざと分かりにくくしている、というのではなく、本当に著者さんが何の答えも持っておらず、あふれ出る技術力でフワッと煙に巻いているように思うのです。「で、結局何が言いたかったの?」という質問に対して、正面から答えることはできるでしょうか?

    本作が、ポートフォリオとしては完璧に近い完成度を誇りながらも、「作品」としてみるとイマイチ印象に残らない理由はそこにあります。読者はこれまで想像もつかなかったような斬新な手法で新しい価値観を提示されたり、よく聞く価値観を尋常ではない熱量で表現されたときに、感動するものなのです。

    「主張したいことが実はない」という状態は、どんなにテクニックでごまかしても必ず読者に伝わります。勇気の要ることだとは思いますが、まずは「私はこういうことを読者に訴えかけたい」というメッセージを作品に込めるようにしてみましょう。上述したとおり、込めるメッセージは高尚なものでなくて構いません。「劇的な事件の起こらない日常系ゆるふわ漫画の良さをみんなに分かってもらいたい」とかでもいいのです。大切なのは、精神的に裸になることを恐れない勇気です。

    次のステップとして、作品に込める主張が薄っぺらくならないように、取り扱う題材について並の読者よりは多めに思索し、勉強してみてください。

    連載を持つ事になったら、それがどのような題材であれ、日々その題材やテーマについて考え続け、勉強し続け、平凡な日常を生きている読者には想像もできないような視点や熱量を持つことが必要になります。それは、あたかも具現化系の念能力者が修行時に本物の鎖をくる日も来る日もいじくりまわしたり、鎖を取り上げられた後も四六時中鎖のことだけを考え続けるのに似ています。そうやって思索をし続けた先に、習作の域を脱し、本当の意味で読者を感動させる名作が生まれることでしょう。


    いろいろと否定的なことも書いてきましたが、今回書いたのは普通は新人賞の寸評では書かないような、かなりレベルの高いお話です。著者・藤原さんの今後の活躍に期待します。

    <文責・編集長>

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    2023年4月23日締切回 結果発表


    大賞
    『明日世界が終わる世界』
    藤原ハル

    長らく「該当作なし」が続き、終了することになった週イチ漫画賞ですが、最後の最後で何と大賞受賞作を出すことができました。受賞作は後日、寸評とともに掲載予定です。楽しみにお待ちください。


    2023年4月16日締切回 結果発表

    残念ながら今週は受賞作がありませんでした。
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    2023年4月9日締切回 結果発表

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    2023年4月2日締切回 結果発表

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    2023年3月26日締切回 結果発表

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    2023年3月19日締切回 結果発表

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    2023年3月12日締切回 結果発表

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    2023年2月26日締切回 結果発表

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    2023年2月12日締切回 結果発表

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    2023年1月29日締切回 結果発表

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    2023年1月22日締切回 結果発表

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    2023年1月10日締切回 結果発表

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    2022年12月18日締切回 結果発表

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    2022年12月11日締切回 結果発表

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    2022年12月4日締切回 結果発表

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    2022年11月27日締切回 結果発表

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    2022年11月20日締切回 結果発表

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    2022年11月6日締切回 結果発表

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    2022年10月30日締切回 結果発表

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    2022年10月23日締切回 結果発表

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    2022年10月16日締切回 結果発表

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    2022年10月9日締切回 結果発表

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    2022年10月2日締切回 結果発表

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    2022年9月25日締切回 結果発表

    大賞
    『シグナル』
    とりやま夢美

    長らく「受賞作なし」が続いてきた週イチ漫画賞ですが、今回ようやく受賞作を、しかも一番上の大賞を出すことができました。

    受賞作の「シグナル」は、高い画力と読みやすくメリハリの効いた構成を持った、著者の高い実力を示す良作でした。内容も、高校生の初々しい恋愛を工夫された切り口で描き切っており、とてもよくまとまっています。連載企画を世に問うていくだけの準備は充分に整っていると言えるでしょう。

    今後、著者のとりやまさんには担当編集者と二人三脚で連載の企画に取り組んでいただくことになりますが、その際にひとつだけ気をつけていただきたい点があります。それは「誰が自分の漫画の対象読者なのか、具体的に意識してほしい」「自分が想定した対象読者が世の中に存在しているのか、よく考えて欲しい」ということです。

    筆者の周辺の事例を見ていても、「誰に向けた企画かはっきりしている作品」は多少技術が未熟でもある程度以上のヒットをおさめ、連載が継続していくケースが多いです。一方、高い水準でまとまっていても、対象となる読者が曖昧だったり、絵柄やタイトル、オビといったパッケージングの部分にうまく投影されていない作品は、ポテンシャルを充分に引き出せず、残念な結果に終わることも少なくありません。

    とりやまさんは、おそらく少女漫画畑のご出身ではないかと思うのですが、受賞作でチャレンジしてくださったのは男子高校生の心情を描いた、どちらかというと青年漫画寄りの題材でした。

    今後チャレンジするジャンルが女性向けの恋愛ものやキャラ文芸のコミカライズ、異世界令嬢ものなどである場合は、ご自身の感性を存分に活かして、自分が読んでうれしいであろう要素を詰め込んでいけば、おそらくは読者にとっても「ごほうび」が多い作品になり、ヒットにつながる事でしょう。著者と読者の距離が近いケースにはそのような強みがあります。
    一方で、男性向け作品にチャレンジされる場合は、ことさらに意識して「自分の持ち味の中で男性読者にも喜んでもらえる部分はどこか」「自分が想定している男性読者は本当に実在しているか」を考えていかないと、「世の中に一人も存在していない架空の男性読者に向けて作品を作ってしまっていた」「読者へのサービスが足りな過ぎて、高い技術にもかかわらず読者に支持されなかった」という事になりかねません。

    誤解のないように言っておくと、ここで言う「サービス」というのは単純にお色気を入れろとかそういう事ではありません。男性読者が読んでいてうれしくなるキャラクター、ストーリー展開、カッコいいキメの絵、かわいいヒロインの絵、など「サービス(ごほうび、という言い方をすることもありますね)」の種類は無限に存在します。社会派の作品やホラーでしたら「真面目な社会問題の告発」「ショッキングで不快な展開」がごほうびになることだってあり得ます。そのような広い意味での「サービス/ごほうび」だと受け取ってください。

    女性作家さんが男性を対象読者としてヒットを飛ばすケース以外にも、大ベテランの作家さんが少年漫画でヒットを飛ばしたり、(少ないですが)男性作家さんが女性を対象読者にしてヒットを飛ばすなど、「著者と読者の距離が遠い」状態でもヒット作が出たケースは無数に存在しています。ただそのような場合、筆者の知る限りでは、作家さんは「対象読者へのサービスとなる要素」をことさらに意識して入れ込んでいます。

    「対象読者を具体的に意識する」というのがピンとこない場合には、自分が目指しているジャンルで先行している他の作品をリストアップし、「業界内であの作品の立ち位置を目指すぞ」と意識するのも非常に有効です。

    「こまごましたことは気にせずに、自分が面白いと思っていることを思い切りぶつければいいんだ」「面白ければ読者はあとからついてきてくれる」という漫画の作り方がある事は承知しておりますし、それを否定もしません。ただ現在の「やわらかスピリッツ」は、部署の方針として「対象読者が明確な作品」「読者にとってごほうびが多い作品」を増やそうとしています。
    その点は、今後「週イチ漫画賞」や「トライアウト」に応募してくださる方も意識していただきたいと思います。

    受賞者のとりやまさんの今後のご活躍を楽しみにさせていただきます。

    文責:編集長

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    2022年9月18日締切回 結果発表

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    2022年9月11日締切回 結果発表

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    2022年9月4日締切回 結果発表

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    2022年8月21日締切回 結果発表

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    2022年8月14日締切回 結果発表

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    2022年8月7日締切回 結果発表

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    2022年7月31日締切回 結果発表

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    2022年7月24日締切回 結果発表

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    2022年7月17日締切回 結果発表

    今週も週イチ漫画賞は受賞作がありませんでしたが、オンライン持ち込みやトライアウトからは連載につながる良いご縁も発生しております。即戦力になりうる方に投稿いただいた場合は、その場で連載枠を差し上げることもあります。ぜひふるってご応募ください。


    2022年7月10日締切回 結果発表

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    2022年7月3日締切回 結果発表

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    2022年6月19日締切回 結果発表

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    2022年6月12日締切回 結果発表

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    2022年6月5日締切回 結果発表

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    2022年5月29日締切回 結果発表

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    2022年5月22日締切回 結果発表

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    2022年5月15日締切回 結果発表

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    2022年5月1日・5月8日締切回 結果発表

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    2022年4月24日締切回 結果発表

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    2022年4月17日締切回 結果発表

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    2022年4月10日締切回 結果発表

    残念ながら今週は受賞作がありませんでした。
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    2022年4月3日締切回 結果発表

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    2022年3月27日締切回 結果発表

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    2022年3月20日締切回 結果発表

    残念ながら今週は受賞作がありませんでした。
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    2022年3月13日締切回 結果発表

    残念ながら今週は受賞作がありませんでした。
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    2022年3月6日締切回 結果発表

    残念ながら今週は受賞作がありませんでした。
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    2022年2月27日締切回 結果発表

    残念ながら今週は受賞作がありませんでした。
    引き続き、皆さんのご応募をお待ちしております!

    物語の場面を作ろうとするとき、基本的な方法は、その場面で起きる出来事やキャラクターの行動を、起きる順番通りに描いていくことです。「まずこのキャラクターがこういう発言をして、それに対して別のキャラクターがこういう行動を取り、その行動がこういう事態を招いて…」というように。

    しかしながら、作品を拝見しているとき、「何がどういう順番で起きているのか」が明確に分かるにも関わらず、全体としてシーンの意味がよく理解できない、という感覚を持つことがあります。

    例えば、次のような場面です。

    (シーン開始)
    1:料理人Aが料理店の厨房で、スープを煮込んでいる。
    2:別の料理人Bが厨房に入ってきて、「バカ野郎、何をやってるんだ」。
    3;料理人Aは、Bに手を引かれて厨房を後にする。
    (シーン終了)

    この例では、その場で起きている出来事が明確に、順番通りに記載されています。しかし、何が起きているところなのかと聞かれると、答えるのが難しいシーンです。料理人が料理を作っているのを叱責されている、ということは理解できるものの、意味がよく分かりません。

    その理由として考えられるのは、「この場面が動作の描写だけで構成されていて、状況の描写が欠落している」ということです。例えば次のように、最初に一つ描写を足すことで、この場面を理解可能なものにすることができます。

    (シーン開始)
    0:料理店の隣のビルで火事が起きていて、周辺は大騒ぎになっていた。
    1:料理人Aが料理店の厨房で、スープを煮込んでいる。
    2:別の料理人Bが厨房に入ってきて、「バカ野郎、何をやってるんだ」。
    3;料理人Aは、Bに手を引かれて厨房を後にする。
    (シーン終了)

    これによって、この場面が「料理人が火事から避難しようとしている瞬間」だということが明らかになりましたね。

    修正前と修正後のシーンに共通する「1」「2」「3」は、「キャラクターのアクションやその場で起きた出来事」を説明する、動作の描写です。一方で、修正後のシーンに付け足された「0」は、「キャラクターの行動やその場で起きた出来事の意味」を理解する前提となる、状況の描写です。

    この「状況の描写」が提示されるだけで、「これは何が起きているシーンなんだろう」という疑問がなくなり、読み手は具体的に起きているアクションの描写を楽しむことに集中できるようになります。

    この「状況の描写」は、場面を理解可能なものにするうえで、一つ一つのアクションの描写以上に重要な役割を果たす場合があるものの、しばしば疎かにされがちだと感じます。今回の例では「火事」という劇的なイベントが「状況」の内容でしたが、シーンによっては、描かれるべき「状況」はもっと空気のように当たり前で、静かな内容であることも多いです。そのため、注意しなければ、わざわざ状況を丁寧に描写する必要性を感じられないこともあります。

    しかし、作る側が当たり前だと思っている情報であっても、読み手が当たり前に理解してくれるとは限りません。その場面で起きていることを正しく理解してもらううえで、抜け落ちてしまっている情報がないか、時々振り返るようにしてはどうでしょうか。

    編集部員YK


    2022年2月20日締切回 結果発表

    残念ながら、今週も受賞作はありませんでした。

    今回のコラムは「担当がついたら定期的にネームを見せよう」というお話。

    漫画家になるのは、一般的にとても難しい事だと思われています。

    週刊少年誌の新人賞などでは1か月に1回の結果発表で10本前後の受賞作が生まれ、1年で120作。半年に1回の大きい賞を受賞する作品を別途20本ほどと計算すると、1年で140作ほどの受賞作が生まれている計算になります(重複を考慮しないざっくりとした計算ですが)。落選した方でも「伸びそうだ」と判断された人には編集者から連絡が行き、そういった方も含めると1年で誕生する「新人さん」は300人ほどにもなるでしょうか。

    筆者も、某週刊少年誌の編集部にいた頃には、受賞済み/受賞前あわせて20人前後の新人さんをいつも抱えていました。当時20人ほどいた編集部員が全員私と同じ規模で新人さんとお付き合いしていると仮定すると、だいたい400人ほどの新人さんがその雑誌にいらっしゃったことになります。

    そんな中から限られた連載枠を勝ち取るのは非常に難しいように感じるかもしれません。ですが私に言わせると、1年で400人ほども生まれる新人さんの中で、本当の意味で連載枠の奪い合いをしている人はごくわずか。大半の方はスタートラインに立ってもいないのに、ご自身ではそのことに気付いていませんでした。競争率は、けっこう低かったのではないかと感じています。

    どういう事でしょうか?

    連載枠を獲得する新人さんの大半は、担当以外の編集者にもだいたい顔を覚えられています。1~2週間に1回とか、下手をすると週に何回も編集部に打ち合わせに来るので、打ち合わせブースの横を通る編集者から「あの人また来てるな」と思われているのです。手ぶらで雑談しに来る新人さんはいませんから、担当に見せられるだけの新しいネームか、あるいは修正したネームを皆さん持参しています。

    数か月から半年に一度しか編集部へのコンタクトがなく、「そういえばそんな人いたな」と思われている新人さんが、練りに練ったネームを提出していきなり連載作家に抜擢される…などというケースを、私は一度も見た事がありません。

    面会の打ち合わせにしてもFAXにしても、今ならメールやZOOMであっても…編集者に頻繁にアプローチする人が連載枠を獲得しやすい、という傾向は明確に存在しているように思います。というか、それができない人は担当がついていても、実質的にはスタートラインに立っていないと言って構わないと思います。

    なぜ、このようなことが起こるのでしょうか? 

    編集者に気に入られた方が枠を回してもらいやすいから…ではありません。ひとつのアイデアに固執せずにダメだと思ったら素早く別アイデアを採用したり、他人の意見を受けて(言われた通りにするかどうかはともかく)ネームの書き直しを検討したり、そういったフットワークの軽さやネームの修正力が、連載作家になるには不可欠だからです。

    また、ネームを拝見する編集者も人間ですから、コンタクトの頻度が低い新人さんから全ボツにしたほうがいいネームを見せられても「この人、ここで企画をボツにしたら、また半年以上ネーム持ってこないだろうな…」と考え、ついつい目の前のネームをいじくりまわしてどうにかしようと考えてしまいます。

    ですが、ネーム修正というのはコアになりうる「面白さ」をあらかじめ内包している企画を、より読みやすくしたり伝わりやすくするために行うものですから、そもそもの面白さが足りていなかったり、編集部の方針と根本的にずれている企画の場合は、思い切って全ボツにして別の企画を練った方が早く連載枠を取れることが多いのです。

    そもそもの面白さが足りていないネームをいじくり回しても、大抵はうまくいきません。半年以上遠回りをして「やっぱりこの企画はダメだったね」という結果になることが非常に多いのです。

    これがフットワークが軽いと分かっている新人さんの場合、こちらもダメそうな企画には思い切ってボツを出せますし、編集部側の要望を汲んでネームを直していただく速度も精度も高いので、結果として連載作家になれる確率は非常に高いものになります。

    自力で十分な実力を身につけて、企画持ち込みをする…といった特殊な経路でデビューを目指しているのでもなければ、「無尽蔵に時間をかけて練りに練ったネームを編集者に見せ、一発で連載作家になる」という考えは捨てるべきです。

    もちろん、頭を使ってネームの中身を考えたり、担当者に言われたことを受け止めてネームに反映させることは必要です。それでも、自分の中にまずは1~2週間程度の締め切りを設定し、その限られた時間の中でベストを尽くすことを心がけてみましょう。

    もちろん、生半可な覚悟や才能でできる事ではありませんが、それが出来たとき、連載作家になるための競争率は、決して高くはないと筆者は考えています。

    余談になりますが、「頻繁にコンタクトする」という話題で今でも思い出すのが、弊誌でも「お酒は夫婦になってから」を連載してくださっていたクリスタルな洋介先生の新人時代の事です。

    もう10年以上前になるでしょうか。筆者は担当でもなんでもなかったのですが、毎週週の後半になると、○○(クリスタルさんの本名)という差出人からの大量のFAXがサンデー編集部に届いていたことはよく覚えています。当時、地方にお住まいだったので打ち合わせではなくFAXという形になったのでしょう。

    中身を盗み読んだりはしませんが、それにしても毎回何を送ってきてるんだろうと不思議になるほど、とにかく頻繁に大量のネームが届いており、デビュー前からクリスタル先生(の本名)は「週末の夕方に大量のネームをFAXしてくる人」として編集部内で有名になっていました。ちょくちょく読切を掲載するようになった時の感想も「こんな新人さんいたのか」ではなく、「あの大量にFAX送ってくる人、こんな漫画描くのか!」というものでした。

    いまでも、A4の紙に1ページずつ描かれた、特定の書式のFAXの事をまざまざと思いだします。

    たたき上げの新人さんから連載作家になる方は、多かれ少なかれ同じようなエピソードをお持ちなのではないかと思います。

    みなさんも担当編集者がついたら、「フットワークの軽さも実力のうちである」と考えて、自分の中に締め切りを設定するという事を考えてみましょう。連載作家になるための倍率を劇的に下げることができるはずです。

    2022年2月13日締切回 結果発表

    今週は、残念ながら受賞作はありませんでした。
    先週寸評を掲載いたしました「口紅の告白」の本編を掲載いたします。
    見事入賞されました森さんに続く投稿をお待ちしております。

    作品を読む

    2022年2月6日締切回 結果発表


    入選
    『口紅の告白』
    森ミツキ

    今週の週イチ漫画賞は、以前から弊誌で担当者がついて二人三脚で頑張ってくださっていた森ミツキさんが、見事、入選を受賞されました。受賞作なしが長く続き、どうなる事かと思っていた週イチ漫画賞ですが、ようやく普通の編集部並みの育成サイクルが回り始めたかとホッとしております。

    受賞作「口紅の告白」は、親友に同性愛的な恋愛感情を持つ主人公が、その親友から「好きな人ができたのでメイクの仕方を教えて欲しい」と頼まれ、葛藤するというお話です。

    主人公の葛藤をセリフだけに頼らずに丁寧に表現しており、23ページという短めの分量の中で非常に完成度の高い人間ドラマを作れています。

    構成に関しても、弊誌が求めている「誰もが分かりやすく読めて引っかからないコマ割り」「メリハリがついていて派手に見える画面」が作れており、このままでも充分に連載の現場で通用するのではないかと感じました。

    おそらく、どのような題材を選んでも、それを破綻のないドラマに組み上げ、分かりやすい構成で読者に伝えることができる、そのような基礎力は備わっているのではないでしょうか。

    絵に関しても、線のきれいな「素人目にもわかりやすく上手い絵」で、お客様にお出しできる品質に十分に達していると感じました。なぜか新人作家さん育成の過程で軽視されることが多いのですが「絵柄でお客さんに嫌われない」というのは、実は相当重要なことです。森さんの絵柄であれば「とりあえず手に取ってみようかな」と高確率でお客さんに感じさせることができ、内容で勝負するところまで持っていける事でしょう。

    総合的に見て、この方は商業作家として作品を世に問い、「売れるか、売れないか」で勝負する段階にかなり近づいていると思います。ここから必要になってくるのは「シチュエーションや人間ドラマではなく、キャラクターを中心に作品を組み立てる事」です。

    「キャラクター中心に話を組み立てる」とはどういう事でしょうか?

    極端な言い方をすれば、「キャラクターを売り出すために短編が存在している」といった考え方をしてみようということです。

    今回の作品は非常に完成度の高い人間ドラマとしてまとまっていますが、主人公の葛藤を軸に話を組み立て、人間ドラマに一応の結論めいたものが出てしまっているため、続きの作りようがありません。仮に、二人の同性愛的な関係を軸に長編を作ったとしても、それは全くの新作を製作するのと同じになってしまうでしょう。

    ですが、読者の脳裏に強烈に焼き付くような個性的なキャラクターを作ることができれば、お話はいくらでも付け足すことができるはずですし、「このキャラを使って、料理漫画を描こうか? 野球漫画を描こうか? それともバトル漫画を描こうか?」とジャンルを後から選ぶようなことも可能になります。「高いレベルでまとまっている」という所からもう一つ先のステップに進むために、森さんの作品でしか読めない、というような強烈なキャラクターを生み出すことを課題としてください。

    画面作りに関して言えば、非常にきれいな線で嫌われない画面を作ることに成功しているのですが「表情のバリエーションが少なく、キャラの顔が固く見える」という欠点を抱えています。

    6ページ、8ページ、22ページといった、大きめのコマでキャラクターの表情がはっきりと乗った絵を描く際には自然な顔が描けているのですが、それ以外の、比較的小さめの会話のコマでは、人物の顔がほぼ同じになってしまっています。2人いる主要登場人物も、かつらを取り去ってしまうと目、鼻、口、輪郭などのパーツはほぼ同じになってしまうのではないでしょうか。所謂「福笑いのパーツが1種類しかない」という状態です。光の当たり方やキャラのポーズ、手先や指先の表情付けなど作画面で優れた点も多いだけに残念です。

    「顔の部品の種類を意図的に増やしてみる」「同じ人物でも、前のコマと次のコマで表情が揃わないように意識する」といった点を心掛けて、作画面でもより改善してくださることを期待します。

    以上のような課題を踏まえて、森さんにはもう一度、週イチ漫画賞に読切を投稿していただくことをお願いしました。今度の投稿作は、今回発生した課題が潰されていることを確認するためのものであり、同時に、連載作品のプロトタイプになりうる読切である必要があります。「このネタならば、連載にしてもきっとうまくいくはず」と我々を納得させてくれる作品を、担当編集者と共に作り上げて投稿してください。

    文責:編集長


    2022年1月30日締切回 結果発表

    残念ながら今週も受賞作は出ませんでした。
    引き続き皆さんの挑戦をお待ちしております。

    2022年1月23日締切回 結果発表

    残念ながら、今回も受賞作はありませんでした。
    今週のコラムは「カメラ目線を入れよう」「カメラに向かって見栄を切ろう」というテーマでお話します。

    紙の週刊漫画誌の全盛期、誰もがアンケートの順位を気にしていた時代には、少しでも順位を上げるために様々なテクニックが編み出されました。

    そんな技術のひとつに「ひと見開きに1回はカメラ目線を入れる」「カメラに向かって見栄を切る」というものがあります。

    紙の週刊漫画誌の場合、20本前後のライバル作品と同時に作品が掲載され、アンケート順位を争わなければなりません。また、たいていの読者はお気に入りの作品を読んだ後、他に何を読もうか、と雑誌をパラパラとめくります。巻頭から掲載順に読んでいく読者は極めて少数派です。

    まず自分の作品で手を止めてもらわなければ、内容を味わってもらうことはできません。

    そのような状況下で流し読みをしている読者に手を止めさせるためには「漫画の中のキャラと目が合う」というのは非常に重要なテクニックになってきます。1ページに1コマはキャラクターがカメラ目線になっているコマを入れておくと、キャラと目が合った読者の手が不思議と止まるものなのです。

    さらにそれを発展させたテクニックとして「ひと見開きに1回はカメラに向かって見栄切りを入れよう」という事もよく言われていました。「見栄切り」というのは歌舞伎用語からの流用で、ようするにカメラ目線の大きい絵をイラストとしても楽しめるようにドカンと入れるということです。多少不自然になってでも、キャラが一番カッコよく見えるポーズをとらせたりもします。絵を最大限楽しませるために、描き文字やフキダシがキャラの輪郭を切ることを避けたり、キャラのレイヤーをフキダシよりも手前に持ってきたりもします。

    これをやると、読者の手を止める効果もかなり期待できますし、強制的にメリハリがつくのでなんとなく派手で面白そうなコマ割りになることが多いのです。

    こういったテクニックはアンケートよりも単行本1冊1冊の売り上げが最優先される時代になっていったん廃れていました。しかしながら、デジタルで無料の漫画が大量に供給され、有料の単行本や単話売りにいかに読者を誘導できるか、が重視される世の中になって、再びその重要性を増してきているように思います。

    「キャラクターの演技の自然さが失われる」という理由から、カメラ目線や見栄切りをあえて使わない、という作風の作家さんもいらっしゃいますが、ひとつの選択肢として認知しておくことは無駄ではないでしょう。

    編集長


    2022年1月16日締切回 結果発表

    残念ながら、今週は週イチ漫画賞の受賞作がありません。
    引き続き皆さんからのご応募をお待ちしております!

    応募要項にも記載していますが、ご応募いただく作品のページ数に制限はありません。
    短編でも、長編と呼べるような作品でも、ぜひご応募ください!

    ただ、たとえ短くても、明確なクライマックスが存在する作品の方が読み応えがあると感じます。

    クライマックスというのは、物語が最高潮に達するポイントです。どのような形であれ、それがあると「このシーンが描きたかったんだな」というのが伝わってきて、私達も「これは何がやりたい作品だったのか」ということをきちんと理解したうえで審査をすることができます。

    更に言えば、そのクライマックスのシーンは、単に大きなイベントが起きるとか、事件が解決するとか、出来事そのものの展開が最高潮に達するということではなく、「その出来事によってキャラクターがどれだけ深く心を動かされたのか」「その瞬間、キャラクターは何を感じていて、その感覚が彼/彼女にとってどれだけ意味のあるものなのか」といったことが伝わるものであってほしいです。

    「このシーンに全てを賭ける」と決めたクライマックスのポイントが明確に存在していて、そのポイントで、「キャラクターにどんな変化が起きたのか、キャラクターが何を感じたのか、キャラクターが何に突き動かされたのか」といったことを目いっぱい伝えようとしているような、そんな作品を読むと、それがどんなに技術的に拙い画面だったとしても、自然と心が動かされます。

    実際に制作をするうえでも、クライマックスを設定しようとすることは、「そもそもこの話をどういう話にするのか」「クライマックスまでに、読者に何を知っておいてもらわなければいけないのか」「全く関係のない描写にページを割きすぎていないか」といった、作品全体の構成に目を向けることに必ず繋がり、結果として良い作品になるはずです。

    ぜひ、皆さんのやりたいことが鮮明に描かれた作品をご応募ください!

    編集部員Y・K


    2022年1月9日締切回 結果発表

    新年明けましておめでとうございます。
    さて、年明け一回目となる今回は、残念ながら受賞作はありませんでした。
    2022年も週イチ漫画賞は、毎週締切・毎週審査で皆様の作品をお待ちしておりますので、引き続きどしどしご応募ください!

    また、前回2021/12/19締切回で佳作を受賞した、はるおさんの『青。』の全ページを公開いたします。
    昨年掲載した講評と併せて、ぜひお楽しみください!

    編集部員Y・K

    作品を読む

    2021年12月19日締切回 結果発表


    佳作
    『青。』
    はるお
    20歳
    静岡県

    今週も受賞作を出すことはできないだろうなと思い、正直なところ、ここに載せるコラムも用意していたのですが、なんと!佳作1作を出すことができました。素晴らしい! しかも、欠点も多いものの明確な長所も備えており、読み終わったあとに素直に「面白いものを読んだな」と思える作品でした。投稿してくださったはるおさんには本当に感謝いたします。

    後日、全ページを「やわらかスピリッツ」上で公開いたしますので、読者の皆様もぜひ楽しみにお待ちください。

    受賞作『青。』は思春期の少年の成長と現実の残酷さを丁寧に描き切った、筋肉少女帯の楽曲や江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」を連想させる良作です。
    同年代の子供たちを「群れでしか行動できないイワシども」と馬鹿にし孤高を気取っていた主人公の少年の前に、「周りのイワシどもとは違う」「君だけずっと遠い場所にいる気がする」と感じさせる少女が現れます。少女との交流の中で「このままでは自分が周囲のバカどもと同じになってしまう」と少年は苦悩しますが、やがて「現実世界は美しいこと」「美しいものには手を伸ばしたくなること」を悟り、俗世間に踏み込んでゆく自分自身を受け入れます。しかし、少女の好意は偽りで、プールに呼び出された少年はクラスメイトから暴行を受け、水に叩き落されて「キモーい」と嘲笑されます。それでも少年は水滴を受けて輝く少女の残酷な微笑みに心を奪われ「恋が始まる」と予感するのでした…

    受賞作の長所は、なんといってもメリハリの効いた大ゴマと、大ゴマを魅力的に見せることができる構図力でした。1ページ1コマ目、読者を引き込む一番肝心な導入部では主人公である少年の目の位置にカメラが置かれ、プリントを差し出してくる少女の姿が臨場感たっぷりに、奥行きのある構図で描かれます(余談になりますが、その後も4ページ4~5コマ目など要所要所でカメラ位置が少年の目の位置とシンクロして「少女に見とれてしまう」という心境に読者を共感させることにひと役かっています)。13ページ1コマ目、18ページ1コマ目などでも、後ろに組まれた手、髪をかき上げる仕草、飛散する水滴と逆光気味に当たる強い太陽光など、細部まで練られた構図の大ゴマが定期的に挟み込まれ、やもすれば作品から離脱しそうになる読者を絵の力で引き戻すことに成功しています。
    これは間違いなくプロの現場でも通用する大きな武器ですので、試行錯誤の中で見失わないように、より一層磨きをかけることを期待します。

    次に、思春期の少年の傲慢さと心変わりを丁寧に追いかけ、矛盾なく描き切った心境の描写力。過剰な説明セリフに頼ることもなく、演出の力で少年と少女の心境を読者に理解させることに成功しています。これも、弱冠20歳の新人さんには、なかなかできる事ではありません。将来的にどのようなジャンルの漫画を描くにせよ、この力はきっと有効に働くことでしょう。

    一方で、改善を望みたい点は「総合的な画力の向上」「頑張らなくても内容を理解できる丁寧なコマ割りや構成」です。

    画力に関しては、人物の表情は非常に生き生きと描けており、人体や背景に関しても最低限のパースやデッサンの知識はあるのではないかと思うのですが、全体的に描線が荒く、白すぎる背景が連続し、効果線や自然物が殴り描きになっています。例えば、5ページ1コマ目のサッカーボールの移動を表現した効果線をプロの原稿と見比べてみましょう。
    おそらくこの方の原稿は、ネームや下描きの段階ではもっとプロっぽく見えていたのではないでしょうか。画材を充分に使いこなせておらず、また自分自身の中のハードル設定ができていないため、「どのくらい丁寧に描けばお客様にお出しできる画質になるのか」という点が理解できていない可能性があります。このような症状を抱えた新人さんの場合、闇雲に絵の練習をするよりも、他人の作品を鑑賞して「目を鍛える」ことを行うと、問題が劇的に改善する可能性があります。プロの作品を「どのくらい丁寧に描いているか」という視点で観察し、自分自身の中でハードルをきちんと設定して、それを乗り越える努力をしてみましょう。

    構成に関しても、メリハリが効いていて不思議と面白そうな画面になっているのですが、➀フキダシと発言者の絵が一致していなかったり、②ひとつのコマに複数の要素を入れすぎていたり、③演出優先でコマとコマの間のつなぎを省略しすぎていたりと、読者に不親切な要素が多すぎて内容を把握するために読み手が相当頑張らないといけなくなっています。

    ➀に関して、例えば2ページ2コマ目の「ゲッ 隣、岩橋じゃん」というセリフ。文脈を追えば、この発言がコマの左側にいるモブの女の子のセリフだと分かるのですが、コマの右側に描かれた主人公・岩橋の顔の真横にフキダシが置かれているため、一見すると岩橋自身の発言にしか見えなくなっています。あくまでも原則ですが、フキダシを置く時は中身を消して真っ白にしても、誰の発言なのか理解できる位置に置かないとダメです。この場合、「ゲッ~」というフキダシをモブの女の子の顔の右側に移動させるだけでも読みやすさは劇的に変わるはずです。岩橋の顔と「ゲッ~」というセリフを別のコマに分けてしまう、といった解決方法もあるかもしれません。

    ②に関してはあまり馴染みのない考え方かもしれませんが、例えば5ページの2コマ目では、「笑いながら『取ってくれる~』と呼びかけるモブ」「窓際に佇んでこっちを見ているヒロイン」「『せめて謝れよ』とヒソヒソ話をする他のクラスメート(主人公自身のセリフである可能性もありますが『イワシめ』というセリフが主人公のものであることから、このセリフは手前にいるモブの発言であると判断しました)」「頭を押さえて『イワシ、イワシめ』と悪態をつく主人公」と、4つもの要素がひとコマの中に詰め込まれています。これでは、1コマの中で理解しなければならない要素が多すぎて読者はストーリーに集中できません。
    「謝りもせずに『取ってくれよ』と呼びかける腹の立つクラスメート、その背後で窓際に佇んでいるヒロイン」「クスリ、と笑うヒロインの表情アップ」「頭を押さえて悪態をつく主人公、背後でモブが同情してくれている」と一連の流れを3コマに分ければ、それぞれのコマで読者が理解しなければいけないことが絞られて、頑張って文脈を追わなくても自然とストーリーが頭に入ってくるようになります。
    この考え方を適用していくと当然コマの数が増えてしまいますし、いつでも必ずコマの中に込められた要素がひとつでなければならないというわけではないのですが、読みにくい漫画の多くがこの「ひとコマの中に複数の要素を入れすぎている」という問題を抱えていますので、困ったときには思い出してみるとよいでしょう。

    ③は、例えば7ページの最後から8ページ冒頭にかけての部分。5ページ目で主人公は帰宅してベッドに倒れ込んだはずなのですが、海の底から海面を見上げる幻想的なシーンが終わるといつの間にか教室に戻ってきています。5ページの教室のシーンから繋がっているようにも見えますが、だとしたらベッドに倒れ込むコマは何だったのか? あるいは、1日が経過して次の日の話になっているのか? おそらく丸1日経過しているのでしょうが、頑張って読解しないとそのことはわかりません。また、教室に戻ってきたコマでモブの眼鏡の男の子がいきなり「私はついに閃いたぞ!」と叫んでいて、ページをめくると主人公が「何やってんだ」と発言しています。素直に受け取るとこの発言は眼鏡の男の子の言動に対するツッコミにしか見えません。ところが8ページ2コマ目ではヒロインが誰かに「昨日の返事は?」と問いかけられていて、どうやら先輩に告白されて返事を求められているようです。一方で眼鏡の男の子は「我々はプランクトンを主食にした生き物に進化するべきなのだ」と演説を続けています。読んでいてクエスチョンマークで頭がいっぱいになる場面です。おそらく、普通の読者ならここで離脱してしまう事でしょう。筆者はしばし考えた末にようやく「何やってんだ」が2コマ目で描写されたヒロインとイケメンの先輩に向けられたツッコミであることを「読解」しました。これでは、とてもじゃないですがストーリーを楽しむことなどできません。
    自宅でベッドに倒れ込んで幻想的な夢を見たあと、場面の切り替わりを8ページの冒頭に持ってきて学校のロングショットに「翌日」とナレーションを入れ、次のコマで教室の遠景をフカンで入れ、メガネの男の子の演説は重要な会話と明確に差をつけるために、わざと目線誘導から外れた位置に小さく、手書き文字で入れる。3コマ目でようやく先輩がヒロインに言い寄っていて、「昨日の告白の返事、考えてくれた?」と分かりやすく問いかけ。4コマ目で主人公が「何やってんだ?」と何に対するツッコミなのか間違えようのない形で発言する…ここまですれば、少なくとも内容の把握という点で読者が不必要な引っ掛かりを感じることはありません。演出意図もあってわざと繋ぎのコマを無くしているのかもしれませんが、「読者が原稿を最後まで読んでくれるとは限らない」という点に留意して、「場面転換や時間経過があったあとはロングショットからカメラが寄っていくと良い」といった基礎をもうちょっと尊重してみましょう。

    …とここまでさんざんダメ出しをしてしまいましたが、受賞作は読み終わったあと、「ああ、面白いものを読んだな、役得役得」と素直に思える作品でした。思春期の少年の生々しい思い上がりや少女の残酷さが鮮烈に描かれており、キメの大ゴマもばっちりキマっていて、プロの現場でも通用しそうな武器をすでに持っていらっしゃる作家さんだな、と感じます。

    ただ現状だと欠点が目立ちすぎていて、普通の読者だと長所に目を向けてくれないのではないか、と思うのです。欠点を克服して偏差値80くらいを取れ、とは言いません。作画や構成においてもせめて偏差値50くらいを取って、足切りラインを超えるようになれれば、読者の目はこの方の長所にだけ向けられるようになり、一気に連載に近づけるのではないでしょうか。

    尖った部分は十分に持っている新人さんだと思います。今後の精進に大いに期待いたします。

    編集長


    2021年12月12日締切回 結果発表

    残念ながら今週も受賞作はありませんでした。
    今回のワンポイントアドバイスは「作品と自分自身を切り分ける訓練をしよう」という点。

    新人作家さんの中には、全身全霊をかけて書き上げたネームや原稿にダメ出しをされると、深く落ち込んで、しばらく件の作品と向き合うことができなくなってしまう方がいらっしゃいます。自分自身を否定されたような気持ちになって、なぜ他人に自分の心の中に手を突っ込まれなきゃいけないのか、と思い悩み、ダメ出しをされた作品を修正するのではなく、全没にして全然別の作品を担当のところに持っていく…そうしたくなる気持ちはわかりますが、これではすべてのネームが一発OKになる天才以外は商業作家になれません。

    ネームを書き直すにせよ、全没にするにせよ、よそに持って行くにせよ、なぜダメ出しされたのか相手の指摘を受け止めて、そのアドバイスが妥当か(あるいは自分に対応可能な注文かどうか)検討し、取り入れるかどうかを判断し、それを踏まえて次作に挑む…自分自身を否定されたような気持ちになって傷ついていたら、とてもじゃないですがこのような冷静なステップは踏めません。

    ダメ出しをされたのは「あなた自身」ではなく「作品」なのです。
    編集者が作画の改善を要求するのは、そうしたほうが市場の売れ線に乗れると判断しているか、画力自体が商業漫画として掲載されるにはまだ低いと感じているからです。ネームの修正を要求するのは、説明不足でわかりにくい点があったり、少し方向性を変えたほうが読者のニーズにこたえられると考えているからです。もちろん、それらの要求が常に正しいとは限りませんから、要求にこたえるかどうかは編集者との「対話」の中で突き詰めていくべきでしょう。ですが何よりも忘れてはならないのは「あなたの人格自体が否定されているわけではない」という点です。

    一生懸命書き上げた作品にダメ出しされるのは辛い事ですが、ダメ出しをされているのは作品であって、あなた自身ではありません。ここを切り分けられていないと、他者と自分の作品について対話することができず、商業作家として大成することは難しくなります。

    いきなり自分の作品と自分自身を切り分けるのが難しい場合は、「自分の好きな映画」を他人といっしょに鑑賞して、点数をつけてみるという修行法もあります。

    筆者がむかし出入りさせていただいていたとあるベテラン作家さんの仕事場では、新しいアシスタントさんが入ると、先生からお金を渡されて近所のレンタルビデオ屋に行き、仕事中に流すおススメ映画を3~4本借りてこなければならない、という習慣がありました。どのような映画を借りてきても怒られることはありません。そして1本見終わるたびに全員で1~5点の点数をつけ、なぜそのような点数になったのかを理由付きで語り合います。何点をつけても怒られることはありませんが、そのような採点になった理由は必ず説明しなければなりません。その場にいる全員が映画を分析的に観る訓練をしている、とも言えますが、新人アシスタントさんにとっては「居並ぶ先輩アシスタントさんや師匠が自分のおススメ映画を容赦なく論評してダメ出ししたり評価したりする」という体験をおそらく生まれて初めてすることになります。おススメ映画を借りてきた自分自身が否定されることはないが、借りてきたおススメ映画は師匠や先輩の手でメッタ斬りにされる(時にはもてはやされる)。そのような体験をすることで、作品と自分自身を切り分ける訓練をしているのです。

    ここ数回書いてきたことですが、商業作家として生活していくには「打ち合わせをする力」が画力やドラマ作りと同じくらい重要です。編集者のいう事を全部聞けなどと言うつもりは毛頭ありませんが、相手がどのような理由で何を要求しているのか正しく理解し、応じるか応じないか判断することは常に求められます。

    あなたもぜひ「自分自身」と「作品」を切り分けて、相手と冷静な対話ができるように訓練を積んでみてください。

    編集長


    2021年12月5日締切回 結果発表

    残念ながら、今週も受賞作はありませんでした。

    今週の豆知識は前回に引き続き「打ち合わせのテクニック」から「言葉に詰まったら相手の主張をオウム返しにせよ」というトピック。

    新人賞を受賞したり、未受賞でも伸びしろを見込まれて担当編集者がついた新人作家の皆さんの中には「いろいろ考えているはずなのに、いざ担当編集者と向き合うと言葉の勢いに圧倒されて納得できないまま打ち合わせが終わってしまう」という経験をした人が多いのではないでしょうか。

    前回も述べましたが、商業作家として生活していきたいならコミュニケーション能力を高める事からは逃れられません。担当編集者と打ち合わせをしたり、アシスタントさんに指示を出したり、取材したい対象にアポを取ったり…「相手の話をよく聞き、主張すべきことはきちんと主張する」という段取りをあらゆる工程で求められます。

    相手が高いコミュニケーション能力の持ち主で、あなたが考えをまとめる時間を充分に取ってくれたり、適切な助言であなたの発言を促してくれるなら何の問題もありません。

    では、打ち合わせの相手が一方的に自分の意見をまくしたててきて発言のスキを与えてくれなかったり、あるいは、前提となる知識や場数が違いすぎて特に相手に悪意がなくても圧倒されて何を言っていいのか訳が分からなくなりそうな場合は、どうすればいいのでしょうか?

    ベテランの漫画家さんがアシスタントによく教えているのが「そういう時は、相手の発言をオウム返しにして会話の流れをひとまず断ち切り、考えをまとめる時間を稼ぐのがよい」という打ち合わせのテクニックです。

    例えば、貴方が増刊掲載を目指して担当者と読切のネームをやり取りしているとしましょう。担当さんはあなたのネームに不満があるらしく、さかんに「大きいコマで見栄えのするお色気のカットを入れろ」と提案してきます。直接的なシーンの提案から、類似作での成功例、はては古典的な名作映画でも似たようなテクニックを使って成功した事例がある事…立て板に水といった感じで説得の言葉を繰り出してきます。

    実はあなたは、自分にサービスカットへの執着があまりない事にうすうす気付いており、無理をしてお色気シーンを増やしても作品が改善されないのではないかと感じています。しかし担当氏の知識量は圧倒的で、場数も踏んでおり、発言を差し挟む隙も見出せません。

    「じゃあ、そういう事でネーム直せますか?」そう言って担当氏は打ち合わせを切り上げようとします。まずい!このままでは意に沿わない形でネームを修正しなければいけなくなります。

    こういう時は、相手の主張していることをオウム返しに繰り返していったん流れを止めてみましょう。

    「つまり、●●さんは△ページの4コマ目をもっと大きくして、ヒロインのパンチラをしっかり入れて絵的に派手にするべきである、そうおっしゃってるんですね? その根拠は、他社の先行作品である■■や◇◇でも1話に2~3か所は大きいコマでのサービスカットが入っていて、それが有効に機能しているからである、と。そういうことですよね?」

    物凄く頭が良さそうな会話になってしまいましたが、何せ相手の言ったことをオウム返しにしているだけなので、誰にでもこの程度の発言は簡単にできます。

    しかしこうしてみると、不思議なもので一方的な会話の流れは断ち切られ、「あなたのターン」が回ってくることが多いです。また、相手の発言を要約して再確認しているので、言い返すポイントや矛盾点を見出しやすくなります。

    そうなればこっちのもの、あなたの意見を存分に発言しましょう。その際には、前回も述べましたが、打ち合わせは相手を屈服させるために行うものではないので、お互いの胸の内をぶつけ合ってより高い水準の結論を導き出したり、胸の内のモヤモヤをなくすことを到達目標に設定するとよいでしょう。

    編集長


    2021年11月28日締切回 結果発表

    何通かご応募はいただいたのですが、残念ながら今週も受賞作は出ませんでした。
    今週の豆知識は、「打ち合わせのテクニック」のひとつ「問題の設定と解決策の提示を切り分けよう」というお話。

    漫画業界にいるとよく見聞きするのが「担当編集者がどうしようもない自分のアイデアを押し付けてくるが、言われた通りにしても全く前に進んでる感じがしない、デビューもできない」という新人作家さんの声です。

    これは非常に不幸なことです。「アイデアを押し付けられている」「言われたとおりに描いたのに前進している感じがしない」このような場合、打ち合わせのやり方に問題がある事がほとんどです。おそらくは、新人さん、担当編集者の双方が(あるいはそのどちらかが)「問題の設定と解決策を切り分ける」という事が出来ていません。

    例を挙げてお話ししましょう。

    例えばあなたが少年漫画の新人作家さんで、読切として学園ラブコメを描いているとしましょう。ネームを見せた担当に「このシーンでもっと景気よくパンチラ入れましょうよ!」と提案されます。しかし、あなたはその提案がどうしても納得できません。作品が下品になる気がしますし、繊細な恋愛感情の描写といいところを殺し合っている気がします。しかし、ここで言う事を聞かなければ読切のネームが通らないかもしれません。納得できないながらも、仕方なしにパンチラシーンを描き足してネームを完成させますが、企画会議にあげたネームは不通過になってしまいました。

    上記のステップには、どのような問題があったでしょうか。

    まず、担当者の「パンチラを入れましょうよ」という指摘。
    注意しなければいけないのは、この言動は「問題の指摘」ではなく「解決策の提案」だという点です。こういった指摘を受けた場合は「提案を受け入れられるかどうか」ではなく「なぜ相手はこのような提案をしてきたのか」という観点で考えてみましょう。

    もしかしたら、担当編集者はあなたのネームを退屈だと感じているのかもしれません。
    「もうちょっと刺激が強い方がいいですかね?」
    そう聞いてみたところ
    「なんか、もっと見栄えのいい絵が入ってた方がいい気がして」
    という答えが返ってきました。すかさずあなたはこう切り返します。
    「なるほど! 絵的な刺激が足りないんですね。うーん、だったらパンチラがいいかなあ…アクションシーンをもっと派手に描くとか、他の解決法もありますよね」
    この時点で解決すべき問題点は「パンチラを入れるかどうか」から「絵的な刺激が少ない」に変更されています。

    この時注意するべきは「相手があなたのネームを刺激が少ないと感じた」という事実に対しては謙虚になる事です。問題は間違いなく存在している。ですが、大きいコマでキャラのバストアップをしっかり入れたり、アクションシーンやギャグ等で派手なコマを作ったりすれば、パンチラに頼らなくても解決できる問題かもしれません。絵的な問題だというのも思い込みで、ストーリーの展開をドラマチックにすれば解決できるかもしれません。

    担当編集者が口にした「パンチラを入れましょう」という提案は、「なんだか刺激が少ないな」と無意識に感じたことに対する、反射的な「解決策の提案」だったのです。

    日常の会話では、我々はこのような「問題の指摘と解決策の提案の混同」を非常に頻繁に行っています。よほど強く意識していないと、打ち合わせにおいてこの二つを切り分けて考えることは難しいでしょう。息の合った作家さんと編集者のコンビなら、意図的にこのような混同を起こして会話のテンポを上げたほうが打ち合わせがトントン拍子に進むこともあります。

    ですが、まだ付き合い始めて日の浅い新人作家さんと担当編集者、あるいは、打ち合わせが空回りしていると感じているかたは、いったん落ち着いてこの両者を意識的に切り分けてみることです。

    相手から具体的なアイデアの提案をされたら「その提案を受け入れるかどうか」ではなく、「相手がそのような提案をしてきたのはなぜか? どのような問題点を感じて提案しているのか?」と考え、提案者と対話を行って、まず「問題点が何なのか」を探り出しましょう。

    そのうえで、お互いが納得のいく解決策をディスカッションすれば、打ち合わせが空回りすることも減るのではないかと思います。打ち合わせは相手を屈服させるためにおこなうものではありませんから、相手の提案しているアイデアが問題解決のために一番効率的であると感じたなら、もちろん素直にその提案を受け入れればいいのです。

    最後に、本来こういった打ち合わせのテクニックは我々編集者が積極的に身につけて、作家さんをリードすべきものです。どのようなタイプの作家さんを前にしても、個々人に合ったやり方で的確なコンサルティングを行い、最短距離でデビューに導けるよう、日々真剣に鍛錬しなければなりません。

    しかし、常に相手に完璧を求め続ける人間関係は100%破綻します。また、作家さんの側に「上手く打ち合せをする」という概念が全くない場合、いかに経験豊富な編集者であっても独力で円滑な打ち合わせを構築することは不可能です。

    たとえ未熟な編集者や合わない編集者と出会った場合でも、作家さんの側が最低限の打ち合わせの技術を身につけていれば、噛み合った打ち合わせを行うことは可能です。「打ち合わせのテクニック」は、作家さんにとっても、身につけて損はないものなのです。

    パースの勉強をしたり、引っかからないコマ割りを学ぶのと同じくらいに、漫画の打ち合わせには「テクニック」があります。新人作家さんと我々編集者の双方がより良い打ち合わせのために技術を磨くことが肝要であるといえるでしょう。

    ほかにも「緊張して言葉の勢いで押し切られそうになったら、相手の言ったことを復唱して打ち合わせの流れを止めろ」とか、いろいろお伝えしたいテクニックはあるのですが、かなり長くなりましたのでまたの機会にいたします。

    本当は毎週受賞者が出て、こんなコラム書かなくてよくなるのが一番ありがたいのですが。

    編集長


    2021年11月21日締切回 結果発表

    残念ながら、今週も受賞作はありませんでした。
    せっかくですので今回は、作品の展開が単調に見えるのを防ぐための、画面にメリハリをつける工夫をいくつか紹介したいと思います。

    「隣接するページでコマ割りの印象が同じにならないようにする」
    見開きで読まれることを想定して作品を執筆する場合、隣り合ったページの印象が揃わないよう気を付けることが重要です。例えば両ページを三段組にするとき、段の縦幅が左右で完全に揃っていると、同じような読み心地のページが続くことになり、展開が単調に見えてしまいます。そうならないように、段組みのやり方自体を左右で変えてあげるか、あるいは同じ段組みでも左右のページで段の縦幅をずらしてあげるといった工夫をすることで、単調な読み味になるのを防ぐことができます。

    「コマの大小や濃淡に意識的に変化をつける」
    重要なコマやインパクトの大きなコマを大きくして、それ以外のコマを小さくすることで、シーンの展開にリズムを生むことができますが、それ以外に、例えば画面の色の濃さに変化をつけるということも、読み味を単調でなくするうえでは有効なやり方です。例えばずっと白い背景のコマや情報量の少ないシンプルなコマが連続していたり、反対に黒い背景のコマや情報量の多いごちゃっとしたコマが連続していたりすると、各コマの印象がずっと同じになってしまい、話の進展や変化が視覚的に分かりづらくなってしまいます。そういったとき、「キャラクターが重要な台詞を言うコマだけを特別に白い背景にして、残りを黒めのコマにする」など、画面の濃淡を意識的にコントロールしようと心がけることで、重要な瞬間を視覚的に印象づけることができ、展開をよりドラマチックに演出することができるようになります。

    「似た構図の絵を何度も連続して使わないようにする」
    段組みやコマ割りにきちんと変化をつけていたとしても、近くのコマに何回も同じような絵を入れてしまうと、途端に退屈な画面になってしまいます。例えば2人の人物が会話をしているシーンを描こうと思ったとき、ずっと2人がバストアップで同じアングルから写っている絵面だけを連続して使用すると、画面に変化が生まれず、どれだけ衝撃的な会話をしていたとしても退屈なシーンになります。同じシーンであっても、片方の顔のアップ・背景の小物を写すコマ・あるいは片方の人物の肩越しにもう一方の人物を写すようなアングルのコマなど、様々な構図を織り交ぜてシーンを構成することで、退屈な印象になるのを防ぐことができます。

    このように、「話をドラマチックにする」ということ以外にも、作品を単調に見せないための工夫は様々に講じることができます。ご自身の好きな作品が、画面作りという意味でどのような工夫を取り入れているか、いちど観察してみてもよいかもしれません。

    編集部員Y・K


    2021年11月14日締切回 結果発表

    残念ながら、今週も受賞作はありませんでした。
    今週の豆知識は、いつもと趣向を変えて「持ち込みの時は編集者の手元を注視しよう」というお話。

    新人作家の皆さんは、リモートではない持ち込みでじかに編集者に原稿を見せたり、担当がついてネームを目の前で読まれるとき、相手が読み終わるまでどのように過ごしているでしょうか? ずっと下を向いて固まってしまったり、スマホをいじっていたり、手帳にイラストを描いて時間を潰したり…精魂込めて描いた原稿を他人に読ませるのは大変な緊張を伴うでしょうし、ついつい気持ちを紛らわせたくなりますよね。そもそも漫画業界は礼儀作法にうるさい業界ではありませんし、マナー的には、どういうふうに振る舞われても我々もそんなには気にしません。

    ですが、プロの第一線で活躍している先生方は、担当編集者にネームを見せる際、まずこのような動作は行いません。読み手の手元と、目の動き、表情などをじっと凝視し、少しでも手が止まる事があれば「何か引っかかるところがありましたか?」と尋ねてきます。読む側も、一瞬たりとも油断できません。

    プロの皆さんはなぜこのような態度を取るのでしょうか? それは、漫画を読む際、読み手の体は実に多くの情報を無意識のうちに発信しているからです。ワクワクするシーンではページをめくる手が早くなり、くっだらないギャグをかまされれば思わずプッと吹き出してしまい、しんみりしたシーンに感動すればページをめくる手を止めてじっくりと余韻を味わう…

    何よりも注意しなければいけないのは、読んでいる途中で前のページに戻って原稿を何度も読み直したり、特に目が止まらないはずの場所でページをめくる手が止まってしまい、読み手が何かを考えこんでいるような挙動です。このような場合、おそらくあなたの作品には内容を伝える上で重大な不備があり、読み手は「え、どういうことだっけな? このキャラ、いきなり出現したように見えるけど前から出てきてたっけ?」とか「え、この発言は誰のセリフなのか分からないな」とか「こいつらの人間関係ってそもそもどう説明されてたんだっけ?」などと、内容の読解において何らかの混乱をきたしている可能性が高いものです。

    ここで、読み手の読解力の拙さを責めてはいけません。「読んでいて引っかかった」という事実は確実に存在しているのです。どう解決するかはともかく、まずはその事実を受け止めましょう。

    ネームや原稿を読み終わった後の講評以上に、読んでいる最中のリアクションは雄弁に漫画への評価を物語ります。それがわかっているからこそ、プロの皆さんは読み手のリアクションを一瞬たりとも見逃すまいと血眼になりますし、気の利いた編集者はことさら大げさに原稿を読みながら笑い転げたり、首をひねったり、ニヤニヤしたり、への字口になったり、椅子から転がり落ちたりと、チャップリンやミスタービーンのお芝居のような大げさなリアクションを返すものなのです。

    リモート持ち込みが一般的になり、編集者に目の前で原稿やネームを読まれる場は減っていますが、もしそのような機会に恵まれたら、ぜひ皆さんも参加してみてください。そしてその際は、ぜひ勇気を振り絞って原稿を読んでいる編集者の一挙一動を観察してみてください。事前に原稿を読み終わっている相手からただ講評を受けるよりは、得られる情報が段違いに多いはずです。

    編集長


    2021年11月7日締切回 結果発表

    残念ながら今週も受賞作はありませんでした。
    代わりに、作品制作に役立つかも知れないコラムを掲載します。

    あるキャラクターに読者が感情移入するうえで、「その人物の行動の理由が理解できる」ということは非常に重要です。その中でも特に、人物の行動が変化したとき、その理由が理解できるかどうかということは、その人物に対する読者の感情移入の可否を大きく左右します。

    架空のストーリーを例に、詳しく見てみましょう。
    次のような、シンプルな2話構成の作品があったとします。

    [例]
    第1話:高校生のAさんは、同じクラスのBさんにずっと好意を寄せている。ある日の帰り道、Bさんと二人きりになったAさんは自分の想いを伝えようとしたが、その日はついに告白することなく、そのまま家まで帰ってきてしまうのだった。
    第2話:Aさんは翌日の帰り道もBさんと二人きりになり、今度はその想いを告白することができた。すると、BさんもAさんのことが好きだったとわかり、晴れて二人は恋人同士になったのだった。

    上記の例には、読者の感情移入を阻害する重要な問題があります。
    それは、「キャラクターに原因不明の変化が起きている」ということです。

    第1話では、AさんはBさんに告白するタイミングが訪れたものの、ついに想いを打ち明けることはありませんでした。それが第2話では、第1話とまったく同じ状況に置かれたAさんが、Bさんへ告白することに成功しています。つまり、第1話と第2話とで、「好きな相手に告白できる状況に置かれた場合のAさん」の行動パターンが明確に変化していることになります。

    しかし、作中において、何がAさんの行動を変化させたのかは説明されていません。ただ単に、「昨日できなかったことが、翌日になるとできるようになっていた」という見え方になります。

    このままでは、第1話でせっかく「好きな相手に想いを伝えるのは怖いよなあ」とAさんの気持ちに寄り添って読んでくれていた読者がいたとしても、第2話でのAさんの唐突な変化に面食らってしまうでしょう。「もう一度やれば告白できたのなら、一回目でそれができなかったのは何だったの?」と感じ、Aさんのことが一気に理解不可能なキャラクターに見え始めるはずです。

    こうなると、ここからAさんに感情移入してもらうことは困難です。いかに第2話で好きな人と結ばれてハッピーエンドになったとしても、「第1話の告白できない流れはなぜそうなっていたのか?」「第2話で告白できたのはなぜなのか?」と、納得いかなかった部分が邪魔をして素直にハッピーエンドを味わうことができなくなります。

    そうならないために、「なぜキャラクターの行動が変化したのか」、その理由になる描写をきちんと入れることが必要です。たとえば、上記に挙げた例のストーリーを、以下のように修正してみましょう。

    [例]
    第1話:高校生のAさんは、同じクラスのBさんにずっと好意を寄せている。ある日の帰り道、Bさんと二人きりになったAさんは自分の想いを伝えようとしたが、その日はついに告白することなく、そのまま家まで帰ってきてしまうのだった。
    第2話:Bさんに告白できなかったAさんはその晩、友人のCさんに相談する。Cさんの「好きな相手がいつまでも自分の傍にいてくれるとは限らない」という言葉を聞いたAさんは、改めてBさんに告白することを決心する。
    第3話:Aさんは翌日の帰り道もBさんと二人きりになり、今度はその想いを告白することができた。すると、BさんもAさんのことが好きだったとわかり、晴れて二人は恋人同士になったのだった。

    これまでの2話ぶんのあいだに新たに1話を追加しました。その話の中では、これまで描かれていなかった「Aさんが告白できるようになったのはなぜなのか」、その行動の変化の理由が描かれています。

    このエピソードを追加することによって、Aさんの一連の行動が、外からみて理解可能なものになります。なぜなら、「告白できなかったAさんが、翌日になると告白できるようになっていたのは、友人のCさんに言葉を掛けられたからだった」という、「行動が変化した理由」が読者に共有され、変化が唐突なものではなくなったからです。このことによって、Aさんは「前触れもなく行動パターンが変化する、理解できない人物」ではなくなり、読者が感情移入しやすいキャラクターになりました。

    その後、二人が恋人同士になるという展開も、「第2話で想いを伝える決心をしたからこそ、Aさんはついに告白することができたのだ」という見え方になり、納得のいくハッピーエンドとして、読者に受け取ってもらいやすくなるはずです。

    このように、「キャラクターの行動がなぜ変化したのか、その理由が説明されていること」は、そのキャラクターの気持ちに読者が寄り添ううえで非常に重要な要素です。物語のプロットを組み終えたあとなどに、「唐突な変化」になっている箇所はないか、という視点でいちど精査してみるとよいかもしれません。

    編集部員Y・K


    2021年10月31日締切回 結果発表

    今週も、残念ながら受賞作はありませんでした。
    せっかくですので、今回も創作の役に立ちそうな豆知識を掲載いたします。

    今回のテーマは「予定調和」について。

    皆さんは、ストーリーを考えていて「大きく破綻はしていないはずなのに、なんだかこのお話は面白くないな」と感じて手が止まってしまったことはありませんか?
    作劇に関する最低限のポイントを押さえられていてなおかつお話がつまらなく感じたなら、もしかしたらそれは、「主人公の行動が予定調和に陥っている」からかもしれません。

    例を挙げてお話ししましょう。

    「伝説の勇者的な血統に生まれたものの、生来の内気な性格から争いごとが苦手な主人公。しかし、村に魔物の魔手が迫っていて、このままだと大切な人たちも全滅してしまう…」少年漫画の読切などでよく見かけるシチュエーションです。当然、主人公は大切な人を守るために戦う決意を固め、秘めたる能力に覚醒して魔物をやっつけてハッピーエンド…

    このお話って、果たして面白いでしょうか? 少年漫画の主人公で勇者の血筋なら、いざという時に覚醒して敵を倒すのはある意味当たり前ですよね? 上記のお話も、普通に漫画にしただけでは、基本的な設定を説明し終わったところで「どうせコイツが覚醒して敵を倒して終わるんでしょ」と読者に先の展開を読まれ、そこから先は読み進めることが単純な「作業」になってしまいます。「無難にまとまっていて、画力もコマ割りもそんなに悪くないのに、なぜかつまらない」という作品の場合、つまらない原因がこのような「予定調和」にある事は少なくありません。

    予定調和を避けるためのひとつのパターンは「結末が見えていても、そこにたどり着く方法が想像できない」という形にすることです。

    上記のストーリーで言うと、例えば魔法や気などの力がないリアルな世界観で、村に押し寄せている軍隊の人数が10000人、味方側で戦えるのは主人公のみ、という状況だったら…
    「どうせ気弱な主人公が覚醒して敵を倒すんでしょ?」と展開を読まれたとしても、そこにたどり着くための道筋が全く見えません。

    あるいは「一度死んだら生き返れない」というリアルな世界観で主人公の首が切り離されるシーンを明確に描いてしまったとしたら…おそらく読者は「気弱な主人公が覚醒して敵を倒さないと話がまとまらないハズ。でも、覚醒も何も、主人公がはっきりと殺されちゃってるじゃん…」とショックを受け、物語がどこに着地するのか、もう少し読み進めてみようかと考えるはずです。

    似たようなパターンで「バトル漫画だが、戦いに勝っても問題が解決しない」という作り方もあります。

    上記の例でいうと「村に押し寄せている魔物にも家族や生活があり、もと居た住処が天災で住めなくなって、やむなく人間の村を侵略していた」という事実を何かの拍子に主人公が知ってしまう…といったパターンでしょうか。主人公が覚醒して敵を倒すことは既定路線なのですが、それだけでは胸糞の悪い話にしかならず、当然主人公には勝利以外の活躍も求められる、という…
    あるいは上記の例で、村に押し寄せている魔物が所謂「無敵の人」的な思考にとらわれていて、「どうせ失うものなんてないんだから、幸せそうな人間を一人でも多く道連れにして死んでやる」と考えているとしたら…バトルに勝って魔物を力で抑え込んだとしても問題の解決にはなりませんよね。
    おそらく、主人公の信念と魔物の信念を衝突させて、相手を改心させたうえでお話を終わらないと、ストーリーがまとまった感じは出ないはずで、そのやり取りが作品の見せ場になるはずです。

    全く別のアプローチとして、「予定調和」を受け入れたうえで、キャラクターの濃さや作中披露されるウンチク、物凄い作画のクオリティーなど、お話の展開以外の部分で勝負するという手段もあります。料理対決漫画などは、このパターンが多いですね。
    また、「誰もが読みたがっているジャンル」なら、特にひねりを入れなくても王道の物語を高いクオリティーで描き切ることで読者の支持を集めることができます。この場合はジャンルそれ自体が予定調和を克服するための武器として働くわけです。
    2021年現在だと、令嬢ものや後宮もの、和風いきなり結婚ものなどがこのパターンに当てはまるでしょうか。ただ、流行は常に移り変わっているので先を読む目が必要です。

    このように、作劇における「予定調和」を避ける方法はいくつかあります。
    コツは、ストーリーを考える際に、意地悪な読者になったつもりで「どうせ、○○なんでしょ?」と問いかけてみることです。
    問いかけに対して充分な対策がとれているならよし、そうでない場合には、一度立ち止まってお話の組み立てを見直してみても良いかもしれません。

    編集長


    2021年10月24日締切回 結果発表

    残念ながら、今週は受賞作がありませんでした。
    代わりにコラムを掲載します。

    物語を物語らしくするというのは、とても難しいことです。
    主人公を決めて、主人公の身に起きる出来事を描いていっているのに、なぜかこれまで自分が読んできた作品と比べてしっかりまとまっている気がしない、ということは非常によくあると思います。

    そんなとき、考えるべきことは多岐にわたると思いますが、その中のひとつに、「問い」と「答え」が対応しているか、ということがあります。
    物語は、極端な話、「問い」と「答え」の対応関係で構成されており、その「問い」と「答え」が作中に明確に存在していることは、物語の成立にとって必要不可欠なことなのです。

    それがどういうことか、2つの例を引いて考えてみたいと思います。

    まず、次のようなシンプルな物語を考えてみます。
    「大犯罪によって富や名声など、この世の全てを手に入れた悪人は、それでも何故か満たされない気分を抱えて生きていた。ところがある時たまたま人助けをしたところ、『ありがとう』と感謝の言葉を投げかけられ、『自分は誰かに必要とされる生き方がしたかったのだ』と気づく」
    (物語A)

    続けてもう一つ、物語の例を考えてみます。
    「ある休日の昼下がりに、近所のラーメン屋さんで昼食を済ませた主人公は、帰り道でたまたま人助けをする。その時、助けた相手に『ありがとう』と感謝の言葉を投げかけられた主人公は、『自分は誰かに必要とされる生き方がしたかったのだ』と気づく」
    (物語B)

    物語Aと物語Bは、まったく同じ瞬間をクライマックスにしています。「人から感謝され、主人公が本当に求めているものに気づく瞬間」です。しかし、あらすじを読んだときに感じる「テーマを持った物語らしさ」には雲泥の差があります。おそらく、物語Bよりも物語Aの方が、物語として成立しているように映るのではないでしょうか。

    この2つの物語には、決定的な違いがあります。
    それは、「クライマックスで提示される答えに対して、問いが明確に立てられているか」ということです。決して「一般人と大悪党では肩書のインパクトが違う」とかそういうことではありません。

    物語Aの特徴は、「誰かに必要とされることこそが、自分が本当に欲しかったものなんだ」という、クライマックスで提示される「答え」に向けて、あらかじめ「問い」が立てられていることです。その「問い」とは、「人間はどうすれば満たされるのか」ということであり、主人公がどういう人間なのか、という説明の中に、その問いに繋がる要素がきちんと含まれています。

    おそらくこのあらすじを作品として仕上げたとき、物語の冒頭で「富や名声を手に入れたのに、それでも満たされない」という主人公の姿に言及することになるでしょう。その始まりの描写は、「じゃあ何があれば満たされるんだろう」という問いかけを、ぼんやりとであれ読者と共有することに繋がります。そして、その「問い」を読者と共有しながら主人公の活躍を追っていくという時間を経たからこそ、最後に主人公がその「答え」に気づくというシーンが、物語のクライマックスとして成立するのです。

    一方で、物語Bのあらすじでは、そういった「問い」と「答え」の対応関係が明らかではありません。物語Bは、物語Aとまったく同じ、「誰かに必要とされることこそが、自分が本当に欲しかったものなんだ」ということを描いています。しかし、物語Aが冒頭から「問い」を読者と共有するために腐心しているあいだ、物語Bはただ単に「昼下がりに食べるラーメンはおいしいなあ」という、全く関係のない主人公の日常を描くことになり、結果としてうまく「問い」を立てられない状態でクライマックスに向かうことになるでしょう。

    そこで描かれる主人公の感動は、きっと読者と共有されることはありません。おそらく「さっきまでラーメンを食べていただけなのに、突然なんて巨大なことに気づき、勝手に感動しているんだ」と困惑されてしまいます。それは物語Bがクライマックスに向けた問いの成立を怠り、「この物語はどんな問いを主人公に、ひいては読者に投げかけていて、読者はどんなことを考えながら主人公と時間を過ごせばいいのか」が不明になってしまっているからです。

    何に注目して読めばいいか分からない物語は、いくら最後に衝撃的な結末を迎えたとしても、ただ唐突なだけで、「テーマをもった物語を読んだ」という読後感を読者に与えることはありません。

    このように、主人公が作中を通じてひとつの問いを投げかけられ、それに向き合い、主人公なりの答えを見つけ出すまでの過程、それが物語と呼ばれるものの骨格を定めます。

    「問い」と「答え」は物語の骨格を定める重要な要素です。
    制作の過程で迷ったときは、一度自分の中で、「この話は何を主人公に問いかけているのだろうか?」そして、「その問いに対する答えを、自分は何だと思っているのだろうか?」という2つの質問を、自分に対して投げかけてみてもよいかもしれません。

    編集部員Y・K


    2021年10月17日締切回 結果発表

    佳作
    『美しい村』
    原作・エリピス 作画・ふみさき

    本作『美しい村』は、安楽死のための村という特異な舞台設定の中で、登場人物たちの心の回復が静かな筆致で描かれる、情感に溢れた作品です。

    本作のもっともすぐれた魅力は、「物語は人物の心情の変化によって生まれる」ということを制作者がきちんと理解し、それを実践している点にあります。

    主要人物である“石神先生”と”原”は、物語冒頭で、それぞれが「ある種の無力感を抱えた人物」として村を訪れます。しかし、物語が終わるときには、彼らは「人生にまだ希望が残っていることを予感する人物」へと明確に変化していました。そしてその過程で、読者が彼らの変化を理解するために必要な情報――たとえば「過去、石神先生や原の身に何があったのか」「その結果、二人はどのような思いを抱えているのか」「そして、村での出来事を二人がどう受け止めたのか」など――がきちんと描かれました。

    その結果として本作は、ただ特殊な舞台で起きる出来事を追うだけのものではない、登場人物の心情に焦点を当てたドラマになり、読む人の心を動かしうる作品になっています。


    その一方で、本作には二つの大きな課題があります。

    まず一つ目の課題は、「描かれた変化に対して、描かれた過程が十分に説得的であるとは言えない」ということです。より具体的には、「自分は無力だ」と感じている主人公が、「自分は無力ではないかも知れない」と希望を見出す、という変化を描いているのに、その過程で主人公は常に受動的で、何かをしたと言えるような描写になっていない、ということです。これはストーリー作りにかかわる問題です。

    先ほど、本作は人物の心情の変化を描くことができていたと述べました。確かにその通りなのですが、描かれた変化に対して、その過程は十分に納得できるものだったでしょうか。

    精神科医・石神先生は受け持った患者が次々と安楽死を選択することから「死神」と呼ばれ、そのことに医師としての無力感を抱いていたことが示唆されています。そんな中で、かつて受け持った患者の一人である原を再び診察することになり、彼が再び生きる決意をする姿を目にしたことで、「自分にも人を救うことができるかも知れない」と予感する。これが彼について描かれた大まかなことです。つまり彼は美しい村で、かつて救えなかった患者を救う機会を手に入れ、実際にその患者が救われたことで、医師としての希望を取り戻したのです。

    しかしこの物語の中で、石神先生は「原を救った」のではありません。むしろ、原の救済に大きく寄与したのは村の美しさや子どもたちとの交流であって、石神先生はそこに「たまたま居合わせた」という描かれ方になってしまっています。つまり、石神先生は「原が救われるのを目の当たりにしていた」だけであり、彼の行動によって原が救われる、という描かれ方にはなっていないのです。

    「俺は美しい村で人を救えたってことなのか……?」「俺の役割がある気がする。きっと……」という台詞からわかる通り、彼が希望を見出したのは、「自分の手で患者を救えた」という実感があればこそ、という作りになっています。そうだとすれば、ひたすらに受動的であった彼の姿は、その実感の描写に十分な説得力を持たせられているとは言えません。

    これが例えば、「患者に寄り添わない診療をしてきたことを自覚した石神先生は、ふたたび原と出会ったが、彼は早く死ぬことばかりを考えていて、村での交流を全くしようとしていなかった。今度こそ原を救いたいと考えた石神先生は、七夕の夜にぜひ天の川を見に行こうと彼を説得し、その結果、彼は村の子どもたちと交流をすることができた」という描き方であったとしたらどうでしょうか。石神先生に何か決定的な行動を起こさせることで、描かれる結末は同じだとしても「主人公の能動的な働きかけによって、何かが変化した」という印象が生まれ、最後に描写された「自分も患者を救えるかもしれない」という先生の実感に、より説得力が与えられると思います。

    このように、登場人物の変化が描けていたとしても、その次に大切になるのが、「その変化の過程は、読者が十分納得できるものなのか」ということです。今回の主人公の身には、無力感の払拭という変化が起きているのですから、その過程の描写も、それに合わせて何か能動的な行動を伴うものであれば、より納得できるストーリーになったはずです。


    二つ目の課題は、「各コマごとに伝えたい情報を明確に決められておらず、伝えるべき情報が曖昧になっている箇所がある」ということです。これはストーリー作りというよりは、演出にかかわる問題で、本作の各所で散見されました。

    例えば本作の23頁目では、石神先生と原との過去のやり取りが描かれていますが、その中で、「治療は上手くいっていたじゃないですか」「減薬減薬って僕がどれほどつらかったか…」という会話のコマがあります。この描写は、「死神先生が過去、淡々と診察をする人であった」ということと、「そんな石神先生の診察に、原が大変つらい思いをしてきた」ということの2つを表しており、これらはどちらも、彼らを理解するうえで非常に重要な情報なはずです。

    しかし、このコマではどちらの情報を読者に伝えたいのかを絞りきれておらず、2つの情報を1つのコマで表現しようとしたために、結果としてどの情報にもフォーカスすることができず、一見するとただ会話をしているだけにも見えるコマになってしまいました。

    2つ以上の情報を1つのコマに混在させることの問題点は、「そのコマから読者が何を感じ取って次のシーンに進めばよいのか」が曖昧になってしまう、ということにあります。例えばこのシーンでも、今の状態では、読者によって誰にどのような印象を受けるかがバラバラになってしまうでしょう。石神先生の冷たげな表情から彼の酷薄さを感じ取り、原の台詞はただの返事として読んでそこまで印象に残らないという人がいる一方で、逆に、原の台詞の熱量から彼のつらさを感じ取るが、石神先生の表情や言葉遣いには、特に注目せずに読み流してしまうという人もいるかも知れません。

    例えばこのコマを分解して、「原の訴えに対して興味なさげに応対する石神先生」という1つのことにだけフォーカスしたコマと、「その石神先生の態度を受けて、過去からの憤りを露わにする原」にだけフォーカスしたコマの2つを用意してあげれば、読み手はそれぞれのコマから1つずつ、大事な情報を順番に理解することができます。その結果として、人物を理解するために必要な情報を取りこぼさずに次のシーンに進むことができ、この先のストーリーへの理解や没入がもっと大きくなるはずです。

    このように、「1つのコマに入れる重要な情報はできるだけ1つに絞るようにする」ということは、伝えなければならないことを取りこぼさずに読者に伝え、シーンの意図を明確にするうえで非常に重要です。今回のような例の他にも、例えば「場面転換を表すコマで、次のシーンの具体的な会話がもう進み始めている」「新しいキャラクターが登場したコマで、別のキャラクター同士の会話が進んでいる」といったコマは、読者が混乱する原因になってしまう場合があります。意図せずにそのようなコマが生まれてしまっていないか、注意することが必要です。

    上記に述べたようなストーリーと演出にかかわる大きな課題を加味して、本作は佳作との評価に留まりました。しかし、冒頭に述べた通り、人物の心情に焦点を当てたドラマになっている点を高く評価したいと思います。

    原作・エリピスさん、作画・ふみさきさんの更なる成長に期待します。

    やわらかスピリッツ編集部員Y・K

    作品を読む

    2021年10月10日締切回 結果発表

    今回も残念ながら受賞作はありませんでした。
    ただ、緊急事態宣言も解除され、先日の「京まふ」をはじめ各地の出張編集部にどんどん参加する予定です。様々な場での新しい出会いに期待しています。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年10月3日締切回 結果発表

    残念ながら、今回も受賞作はありませんでした。
    正直なところ、応募本数もそんなに多くはなく、実績を出したいかたには大きなチャンスであると言えます。野心のある皆さんの投稿をお待ちしております。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年9月26日締切回 結果発表

    残念ながら今回も受賞はありませんでした。緊急事態宣言が解除され、各地の出張編集部イベントにも徐々に参加していきます。良き出会いがあることを願っています。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年9月19日締切回 結果発表

    今週も残念ながら受賞作はありませんでした。
    引き続き皆さんのチャレンジをお待ちしております。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年9月12日締切回 結果発表

    今週の週イチ漫画賞も受賞作品はありませんでした。
    漫画業界でもちょっと例を見ないくらい該当作なしが続いていますが、弊誌にチャンスがないかというとそんなことはありません。

    直近ですと1月、その後も来春などに新連載枠を多数用意しており、漫画家さんはむしろ不足しています。
    受賞レベルに達している方には現状での評価と、連載獲得までに克服してほしい課題、次に踏んでほしいステップ(もう一度新人賞を目指すのか、集中連載や読切等の企画を提出していただくのか、連載企画を提出していただくのか)を、なるべく具体的にお伝えしています。

    ライバルがほぼ皆無な今の状況は、一定以上の実力を持った皆さんにとっては大きなチャンスであると言えます。

    商業漫画家としてデビューしてみたい皆さんの投稿をお待ちしております。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年9月5日締切回 結果発表

    残念ながら、今回も受賞作はありませんでした。

    正直なところ、応募本数もそんなに多くはなく、実績を出したいかたには大きなチャンスであると言えます。野心のある皆さんの投稿をお待ちしております。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年8月29日締切回 結果発表

    残念ながら、今回も受賞作はありませんでした。

    正直なところ、応募本数もそんなに多くはなく、実績を出したいかたには大きなチャンスであると言えます。野心のある皆さんの投稿をお待ちしております。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年8月22日締切回 結果発表

    残念ながら、今回も受賞作はありませんでした。

    正直なところ、応募本数もそんなに多くはなく、実績を出したいかたには大きなチャンスであると言えます。野心のある皆さんの投稿をお待ちしております。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年8月15日締切回 結果発表

    今週も、残念ながら受賞作はありませんでした。
    今回のワンポイントアドバイスは「無意味な変形コマの使用はやめよう」というテーマについて。

    投稿作品を拝見していて頻繁に見かけるのが、意味もなくコマを変形させすぎて非常に見にくくなってしまっている作品です。平行四辺形や台形のコマをとにかく多用し、時には縦の枠線も横の枠線も傾け、長方形のコマはほとんど見かけない…ですが、全てのコマを変形させてしまうと、ページの中でどこが強調したい部分なのか分からなくなってしまい、見た目の印象がゴチャゴチャになってしまいます。

    先日ご説明した「目を鍛えよう」という事にもつながるのですが、一般的に「読みやすい」と言われているプロの作品には、無意味にコマを変形させている作品はほとんどありません。多くのコマが水平と垂直の枠線から構成される長方形をしています。「強い衝撃や強調を表現するため」か「動きを表現するため」に、1ページに1コマか2コマ、変形させたコマが用いられていることがほとんどです。

    少しでも迫力のある画面を作りたい、メリハリを出したい、という投稿者の皆さんの気持ちはよく分かりますが、ページの中の全てのコマを強調することは不可能です。目立たせたい部分をしっかりと決めて、それ以外の部分はあえて「抑制」することで読みやすい画面が出来上がるのだと理解しましょう。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年8月8日締切回 結果発表

    今週も残念ながら受賞作は出ませんでした。 恒例の漫画豆知識ですが、今回は「コマとコマの間のミゾの幅に気をつけよう」というお話です。

    新人賞の原稿を拝見していて頻繁に見かけるのが、コマとコマの間のミゾの幅が狭すぎて画面がごちゃごちゃしてしまっていたり、逆に幅が広すぎて画面がスカスカになっている事例です。

    作家さんによって多少の差はありますが、コマとコマの間のミゾに関しては見やすい幅というものがあります。例えばあなたがアナログ原稿をB4サイズで作成しているなら、ご自分で読みやすいと思うプロの原稿を単行本か雑誌からB4に拡大コピーして、見比べてみることをお勧めします(デジタルのかたも同じような実験を画面上でおこなってみましょう)。

    大きく違わないようならそれでよし、プロの原稿と比べてあまりにも幅が広かったり狭かったりする場合は、それだけで原稿が読みにくくなって損をしている可能性があります。

    また、一般的に右のコマから左のコマに横向きに読み進めさせる縦のミゾは、コマとコマを上下に区切る横向きのミゾに比べて幅が狭くなっています。

    基本的に漫画は右から左に読み進めていくものなので、途中で縦方向に目が滑らないよう、縦向きのミゾはわざと幅を狭く、横向きのミゾは幅を広くするものなのです。

    ちょっとした部分にも読者への配慮を欠かさないことで、引っかからずにストレスなく読めるプロの原稿は出来上がっています。皆さんも、ただ単に内容を味わうのではなく、「読者に負担をかけないためにどのような工夫がなされているか」という観点から、既存の漫画作品を「観察」してみましょう。きっと様々な発見があるはずです。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年8月1日締切回 結果発表

    残念ながら、今週も受賞作が出ませんでした。
    どうせなので今回はいつもと視点を変えて、「ペンネームはよく考えよう」というお話をしてみましょう。

    新人賞の審査をしていて頻繁に目にするのが、奇抜なペンネームを名乗っている新人さんです(特定のどなたかを批判する意図は全くありませんので、以下、筆者がその場で考えた架空のペンネームを例に引きます。偶然かぶってしまっている方がいらっしゃいましたら申し訳ありません)。

    お名前なので、基本的にはご自分で好きなように名乗ればよいのですが、中には「漫画の内容に関係なく、その名前だと明らかに商業的に不利益を被るだろう」というお名前を名乗っている方もいらっしゃいます。

    例えば、下ネタ系のペンネーム。「おっぱい大好き」「うんこブリブリ」等々(すべてこの場で思いついた架空のお名前です)。そもそもそんな著者の単行本は手に取りづらいですよね。また仮にこのお名前でプロ作家としてデビューできて、一般的な会社員の定年相当の年齢まで生き残れたとしましょう。50代後半になって、活躍の場も「ビッグコミック」等の雑誌に移行し、それでもまだ「おっぱい大好き」などと名乗っている自分を想像できるでしょうか?あるいは、コメディー作家としてデビューしたもののうまくいかず、作風を変えて感動人情ドラマの超大作をヒットさせ、それでもお名前が「うんこブリブリ」な自分は…

    あるいは、読み方が分からない記号ややたらと難解な漢字、読者になじみのない言語、たとえば「@*¥」「燕頷虎頸」「Großer Hit Taro」など(すべて今この場で適当に考えた名前です)…紙の漫画の時代なら遊び心でこのような名前を名乗る作家さんもいらっしゃいましたが、検索システムで見つけてもらえないという点でデジタルの時代では実害が非常に大きく、また、読めない名前を覚えてもらうことは困難です。

    検索で見つけてもらえないような一般名詞をペンネームにするのも、よく見かけますが、実害があります。「山」「ステーキ」「犬小屋」など。

    ペンネームなんてあとから変えられるじゃないか、と思うかもしれませんが、例えば「海」と名乗っていた方が3作目から「漫画大ヒット太郎」に改名したとすると、リアル書店さんでも電子書店さんでも、単行本はおそらく全然違う場所に離れて置かれることになります。どれか1作が読者の心に刺さったとしても、自分の他の作品に人気を波及させることが非常に難しくなるのです。

    ペンネームというのは作家さんのブランドそのものです。コストをかけてせっかく育てたブランドイメージをゼロに戻すのはリスキーなことで、売れたあとに改名することは、おそらくどの出版社でも非常に嫌がるはずです。

    若い漫画家志望者の皆さんが遊び心で変なペンネームを名乗る気持ちも分からなくはないのですが、「お名前も営業戦略のうち」と自覚して、少なくとも商業的に実害を被るような名乗りは避けるのが賢明と言えるでしょう。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年7月25日締切回 結果発表

    応募数自体は徐々に増えてきましたが、残念ながら今回も受賞作を出すことはできませんでした。せっかくですので今回も、何か新人の皆さんの役に立ちそうなお話をしてみたいと思います。
    「キャラクターから作ろう」「お話から作ろうとするのはダメだ」というのは、新人漫画家さん、あるいは新人編集者が受ける指摘の中で最も分かりにくいものではないでしょうか。
    「なんだよ、お話を考えないとストーリー漫画なんか作れないじゃないかよ! 何わけわかんない事言ってんだ!」「キャラから作るって何なんだよ!」と、筆者も新入社員時代にさんざん混乱したものです。
    「キャラから作る」という事に関してこのような混乱が生じがちなのは「キャラが立っている」という状態を明確に定義できる人がなかなかいないからではないでしょうか。
    「キャラが立っている」というのは端的にいうと「行動パターンが予測できる」ということです(あくまでも、筆者なりの理解である事はお断りしておきます)。
    たとえば、他社作品で恐縮ですが、七つのボールを集める某大ヒット漫画の主人公がご飯を食べるとき、どのような食べ方をするか皆さんはパッとイメージできますか? お箸の先だけしか汚さない完璧な和食のマナーで礼儀正しく食べる…? そんなわけないですよね。骨付き肉を両手で持ったりして、豪快に、ガツガツと食べるイメージが浮かんだんじゃないかと思います。実際、そのようなシーンが作品の中に描かれています。
    では、同じ作品の主人公がファミレスでマルチ商法の詐欺的な勧誘を受けたら…おそらく「おめぇなに言ってんだ?」とかとぼけたリアクションを返して、詐欺師のトーク自体が成立しないのではないでしょうか。そんなシーンは作中には存在しませんが、某作品を読んだ事がある皆さんなら大半の方が同意してくださるのではないかと思います。
    我々はなぜ、作中に描かれてもいないトラブルに対して、某主人公のリアクションを具体的に想像することができるのでしょうか?
    それは、某主人公の作中の言動・リアクションを通じて、キャラクターの行動パターンが我々の頭の中にしっかりと焼き付けられ「こいつはこういう奴だから、このような場合にはこういう言動をするに違いない」という予想が反射的に出てくるからです。
    「キャラクターが立っている」というのはまさにこういう状態を言います。キャラクターの行動・思考パターンが読者に強く認識・共有され、作中に描かれていないようなトラブルに対しても「アイツならきっとこう行動するに違いない」という予測が反射的に出てくる…
    ネットミームになっている「飛●はそんなこと言わない」というのも同じ理屈で、元になっているキャラクターの行動パターンや蔵●との関係性がファンの中に強烈に焼き付いているからこそ、そこから外れた(ように見える)言動をとることに対して耐えられない違和感が生じてしまうわけです。
    …と、余談はさておき。そのような状態を作るためには、まず最初に描き手が「キャラの行動パターンを作るぞ!」という明確な方向性を持って、外見的特徴、口癖、ポリシー、価値観、生い立ち、好きな食べ物から服のブランドまで様々なパーツを意図的に組み上げていくことです。
    例えば「イタリア帰りの伊達男」という感じでキャラを演出していきたい。だから口癖はこうで、外見的特徴はこう、服のブランドは●●で、女性と一緒に歩くときは必ず自分が車道側を歩きそれが自然な感じで嫌味がない、人生で一番大切にしているものは●●で、ギャップをつけるために好きな食べ物だけは「ぬか漬け」にしておこうか…とかそういう感じです。
    そうしてキャラを立たせた上で初めて「このキャラは読者にウケるだろう」「キャラが読者に嫌われてしまった」「今の時代ならこういうキャラのほうがウケるはずだ」などという高いレベルでの試行錯誤が可能になるのですが、かなりの長文になってしまいましたのでこの先の話はまた別の機会に譲りたいと思います。
    とにかく皆さんも、「キャラから作ってない」と言われてしまったらそれは「キャラの方向性が見えない」か「小ネタ同士が矛盾していて結果的にキャラの方向性が見えなくなっている」という事だと理解して、改善策を練ってみてください。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年7月18日締切回 結果発表


    努力賞
    『パパラッチ×パパラッチ』
    藤源治  27歳 神奈川県

    3回目となる週イチ漫画賞、今回は努力賞受賞作品1本を出すことができました。「やわらかスピリッツ」独立後、記念すべき1本目の新人賞受賞作品です!
    受賞作「パパラッチ×パパラッチ」は「読者の目を意識して知恵を絞る」という作者の姿勢がはっきりと伝わってくる快作でした。不必要な変形コマを使わず、視線誘導がしっかりとなされたコマ割り。ページごと、見開きごとに明らかに計算して配置されている大ゴマ。カメラワークを意識して適切に使用されているロング・セミロングのショット。発言者のすぐ脇に配置され、誰の発言か一目瞭然に理解できるフキダシ。めくり・めくらせを意識したグイグイ先に読み進ませる構成。読んでいて引っかかる箇所はほとんどなく、軽快なリズムも相まって楽しく最後まで読み進めることができました。キメの絵の構図が映像的に工夫されていて「ここは絵で読者を楽しませるぞ!」という作者の意図が明確に感じられるのも好印象。
    とはいえ、プロとして活動するには多くの課題も残っています。
    最大の欠点は「絵の拙さ」。特に背景は明らかに我流で、緻密さ、密度共に掲載水準に達するには相当の努力が必要です。「どのくらいのクオリティーで描けばプロの舞台で戦っていけるのか」、自分の中で適切なハードルを設定するところから始めましょう。
    キャラクターに関しても、非常に表情豊かで仕事で読んでいる分には楽しい気分になれるのですが、「商品」として読者からお金を取ろうとするにはまだまだ画力が足りていません。漠然と絵を描くのではなく、自分がどのような絵柄を作ろうとしているのか、意識して練習してみてはいかがでしょうか。
    3度目の締め切りにて、ようやく受賞作を出すことができ、スタッフ一同安堵しております。我々は、どのような作品でも、締め切りから1週間で必ず審査して結果を発表いたします。より一層力の入った「他人を楽しませるため」に描かれた作品の投稿をお待ちしております。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年7月11日締切回 結果発表

    残念ながら、第2回締切分も受賞作なしという結果になりました。
    やはり8月の新連載が始まらないと応募も増えないのかな、と思いますので前回に引き続き「目を鍛える」ことについてお話したいと思います。

    モノクロの漫画表現において、ゴワゴワのデニムの生地と柔らかいジャージの生地を説明文抜きで描き分けることは可能でしょうか? アスファルトの道路と土の田舎道では? ガラス窓の光沢と凪いだ水面の光沢では?

    投稿者の皆さんの中には、そのような細かい違いを描き分ける方法が全く分からない、という人も多いのではないかと思います。諦めてしまうか、あるいはペンのタッチやトーンの表現でどうにか違いを出そうと自己流の試行錯誤を繰り返す人もいるかもしれません。

    ですが、非常に簡単にこれらの問題を解決する方法があります。「他人の漫画を観察して、真似をすること」です。デニム生地をそれらしく描く方法が分からなければ、まず、デニム生地をそれらしく描いているプロの作品を探して、どのような技法をどのくらいの緻密さで使えばそれらしく見えるものなのか、観察して、真似をすればいいのです。アスファルトと土の描き分け方が分からなければ、そのような表現をしている作品を探して観察することから始めましょう。

    表現の技法を真似することは、パクリでもなんでもありません。長い漫画表現の歴史の中で、布地を、道路を、光沢を描き分けるための様々な表現方法が編み出されてきました。それらをすべて無視して、いわゆる「車輪の再発明」を目指すのは非常に効率の悪い事ですし、たいていの場合、商業出版で通用するクオリティーに至りません。先達の編み出した技法は積極的に真似するべきです。

    もちろん、必要に迫られてから他人の作品を探し始めるのは大変です。普段、他人の作品を鑑賞する際に「どのような表現技法が使われているのか」「どのくらい緻密に描いてあったらプロで通用する品質になるのか」分析する癖をつけましょう。

    一部の絵画教室などではこうした過程を指して「目を鍛える」という表現をする先生がいらっしゃるようです。的確な表現であると感じます。

    やわらかスピリッツ編集部


    2021年7月4日締切回 結果発表

    「週イチ漫画賞」記念すべき第1回は、多数の応募をいただきましたが、残念ながら受賞作なしという結果に終わりました。
    ごくごく基本的な事ですが、投稿者の皆さんには「目を鍛えること」に真摯に取り組んでいただきたいと思います。「目を鍛える」というのは「他人の作品を観察する練習をする」という事です。
    一番わかりやすいのは絵に関する観察です。掲載レベルの作品、あるいはヒットしている作品を、いち読者ではなく作り手の視点からしっかりと観察し、「どのくらいの絵のクオリティーなら商業作品として原稿料を取れるのか」「自分の画力は目の前の観察対象と比べて何が足りず、追いつくにはどのくらい距離があるのか」しっかりと自覚しましょう。
    物語に関しても同じことが言えます。こちらは、本屋さんの店頭や電子書店さんのサイトトップをしっかりと観察しましょう。「いま市場ではどのようなタイプの作品が読者に求められているのか」「自分が目指したいジャンルでヒットしている先行作品にはどのようなものがあるのか」意識しさえすれば、様々な気付きが得られるはずです。
    己の実力をプロの作品と比較することは非常に恐ろしい事です。心が折れてしまうこともあるかもしれません。ですが、プロとして原稿料と印税で生活することを目指すのであれば、やみくもに手を動かす前にまず「努力の方向・種類」を厳選し、自分がたどり着きたいゴールを設定することは絶対に必要です。広大な漫画業界の中で、あなたが目指す絵柄はどのようなもので、目指すプロ作家としての立ち位置はどのようなものなのでしょうか?
    今回の投稿作には、絵に関しても、ストーリーやジャンルに関しても、「特定の方向・ゴールを目指したものの、力が足りなかった」というタイプの作品はほとんどありませんでした。皆さん一生懸命取り組んでいらっしゃるものの、そもそもプロ作家としてどのような完成形を目指しているのか、方向性が見えない作品が大半でした。
    厳しいことを言うようですが、方向性を定めない努力は絶対に実を結びません。「他人の作品を観察する」「市場の動向を観察する」癖をつけたうえで、たどり着きたいゴールのイメージを設定し(これは臨機応変に変わってかまいません)、そのうえで方向性を定めた努力をしてみましょう。
    もちろん、投稿作の時点で完成形である必要はありません。いまは未熟でも「こういう完成形を目指している」という方向性が感じられる作品を、我々は評価したいと思っています。
    皆さんの投稿を引き続きお待ちしております。

    やわらかスピリッツ編集部

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