もともと、どのようにして立ち上がった企画だったんですか?
最初は深夜の連続ドラマ('10 年、毎日放送で放映されたテレビシリーズのこと)でしたが、撮影に入ってからも非合法の金融屋を主人公としたドラマということで「最悪、オンエアできないかも知れない」みたいに言われていて。
ぼくは'05 年にフジテレビから独立しました。「これからどうしようかなあ」なんて感じの最後の出社日くらい、お台場からゆりかもめに乗って、新橋駅に着いたときに、ふと『闇金ウシジマくん』のことが頭をよぎったんですね。ドラマ『ナニワ金融道』シリーズ(1996年〜フジテレビ系で放映)をプロデュースした流れがあるから、『闇金ウシジマくん』の実写化も自分はできるのではないか、自分にしかできないのではないか、と思ったんですね。それで、小学館にすぐ電話しました。
出版社の反応はいかがでしたか? 「週刊ビッグコミックスピリッツ」の編集部に電話したんですが、対応してくれたのが、立川さん(当時の『週刊ビッグコミックスピリッツ』編集長)、松本さん(『闇金ウシジマくん』初代担当編集者) という桁外れにノリのいいお二人で、ほぼ即答で「進めてください」みたいな感じでした。 当時の編集部の雰囲気を覚えてるんですけど、確か、その当時ってすでに『闇金シジマくん』の映像化の打診がいくつか編集部に来ていたはずなんですね。そんな状況下で、当時の編集部や真鍋先生が、山口監督の企画を選んだ、その理由が知りたいと思っているんです。 『ナニワ金融道』シリーズをSMAPの中居(正広)くん、小林薫さん、緒形拳さんで、という企画をキャスティングや原作の青木雄二さんとのお話も含めゼロから立ち上げたという実績があったからじゃないでしょうか。マンガ原作のドラマ化という意味では、『きらきらひかる』や『漂流教室』もやってたし。
当時すでに『闇金ウシジマくん』実写化に手を挙げていた人たちは他にもいたかも知れないけれど、実際は僕が準備を進めてみると、(ウシジマのような)犯罪者が主人公だということで、当初は地上波のテレビ局なんかはどこもまともに相手にしてくれなかった。
Vシネマであるとか小規模な映画であるなら簡単に(映像化) できるかも知れないけれど、ちゃんとメジャーを狙ってやっていく、誰が聞いても知っている映像作品にしていくというのは困難だから、そこをやりたいという前のめりな感じに賭けてもらったのだと思いますね。原作ものの場合には、作家・漫画家と編集者と出版社が積み上げてきたものの上に乗っかるだけじゃ突き抜けられない。そこからさらになにか「発明」か「熱狂」とか「驚き」を生み出す何かがないと。 犯罪者が主役というメジャーにし難いような題材のものを、どうメジャー展開しようとされたんですか? ウシジマという主人公の持っている一貫性というか、インテグリティ(ブレなさ) というか、犯罪者だけど清潔さをも持ち合わせている不思議さを体現できる役者を選べるかどうか、ということです。あらかじめキャラ立ちしている主人公というのは、作中で成長しないわけだから最初の造形をどう作るか? の一点にかかってるわけで、やっぱりウシジマに山田孝之くんをキャスティングできたのは大きかったと思います。 では、山田さんをキャスティングできた段階で手応えを感じた、ということですね。 プロデューサーとして、『闇金ウシジマくん』のドラマ化というのを思いつき、小学館に電話してゴーをもらい、「ウシジマ役に山田孝之くんはどうか?」と思いついて事務所と本人も含めOKをもらう、というところまでが大きいし、逆にいえばプロデューサーとしての仕事はほぼそこまでで。 山田さんの役づくりに関していかがですか? 撮影の合間、しきりにデスクをきれいに拭いてたりするんですね。あとは、あのメガネを自分で探して見つけてきたり、Tシャツなんかの肩口をいじったり、その一連の作業が、プロの野球選手が打席に入ったりゴルファーがティーショットを打つ前の一連のルーティンみたいな。 そうやって少しずつウシジマになっていく? 形からじりじりとウシジマと重ね合っていくというか。そこは演出というより、山田くんが自分で作り上げていったメソッドなのでそこはぼくはなにも寄与していないです。
ぼくは'05 年にフジテレビから独立しました。「これからどうしようかなあ」なんて感じの最後の出社日くらい、お台場からゆりかもめに乗って、新橋駅に着いたときに、ふと『闇金ウシジマくん』のことが頭をよぎったんですね。ドラマ『ナニワ金融道』シリーズ(1996年〜フジテレビ系で放映)をプロデュースした流れがあるから、『闇金ウシジマくん』の実写化も自分はできるのではないか、自分にしかできないのではないか、と思ったんですね。それで、小学館にすぐ電話しました。
出版社の反応はいかがでしたか? 「週刊ビッグコミックスピリッツ」の編集部に電話したんですが、対応してくれたのが、立川さん(当時の『週刊ビッグコミックスピリッツ』編集長)、松本さん(『闇金ウシジマくん』初代担当編集者) という桁外れにノリのいいお二人で、ほぼ即答で「進めてください」みたいな感じでした。 当時の編集部の雰囲気を覚えてるんですけど、確か、その当時ってすでに『闇金シジマくん』の映像化の打診がいくつか編集部に来ていたはずなんですね。そんな状況下で、当時の編集部や真鍋先生が、山口監督の企画を選んだ、その理由が知りたいと思っているんです。 『ナニワ金融道』シリーズをSMAPの中居(正広)くん、小林薫さん、緒形拳さんで、という企画をキャスティングや原作の青木雄二さんとのお話も含めゼロから立ち上げたという実績があったからじゃないでしょうか。マンガ原作のドラマ化という意味では、『きらきらひかる』や『漂流教室』もやってたし。
当時すでに『闇金ウシジマくん』実写化に手を挙げていた人たちは他にもいたかも知れないけれど、実際は僕が準備を進めてみると、(ウシジマのような)犯罪者が主人公だということで、当初は地上波のテレビ局なんかはどこもまともに相手にしてくれなかった。
Vシネマであるとか小規模な映画であるなら簡単に(映像化) できるかも知れないけれど、ちゃんとメジャーを狙ってやっていく、誰が聞いても知っている映像作品にしていくというのは困難だから、そこをやりたいという前のめりな感じに賭けてもらったのだと思いますね。原作ものの場合には、作家・漫画家と編集者と出版社が積み上げてきたものの上に乗っかるだけじゃ突き抜けられない。そこからさらになにか「発明」か「熱狂」とか「驚き」を生み出す何かがないと。 犯罪者が主役というメジャーにし難いような題材のものを、どうメジャー展開しようとされたんですか? ウシジマという主人公の持っている一貫性というか、インテグリティ(ブレなさ) というか、犯罪者だけど清潔さをも持ち合わせている不思議さを体現できる役者を選べるかどうか、ということです。あらかじめキャラ立ちしている主人公というのは、作中で成長しないわけだから最初の造形をどう作るか? の一点にかかってるわけで、やっぱりウシジマに山田孝之くんをキャスティングできたのは大きかったと思います。 では、山田さんをキャスティングできた段階で手応えを感じた、ということですね。 プロデューサーとして、『闇金ウシジマくん』のドラマ化というのを思いつき、小学館に電話してゴーをもらい、「ウシジマ役に山田孝之くんはどうか?」と思いついて事務所と本人も含めOKをもらう、というところまでが大きいし、逆にいえばプロデューサーとしての仕事はほぼそこまでで。 山田さんの役づくりに関していかがですか? 撮影の合間、しきりにデスクをきれいに拭いてたりするんですね。あとは、あのメガネを自分で探して見つけてきたり、Tシャツなんかの肩口をいじったり、その一連の作業が、プロの野球選手が打席に入ったりゴルファーがティーショットを打つ前の一連のルーティンみたいな。 そうやって少しずつウシジマになっていく? 形からじりじりとウシジマと重ね合っていくというか。そこは演出というより、山田くんが自分で作り上げていったメソッドなのでそこはぼくはなにも寄与していないです。
山口雅俊(やまぐち・まさとし)
兵庫県神戸市出身。『ナニワ金融道』シリーズ('96年〜)、『きらきらひかる』シリーズ('98年〜)、『ロング・ラブレター〜漂流教室』('02年)、『ランチの女王』('02年)をプロデュース。'05年にフジテレビから独立し、株式会社ヒントを設立。その後、映画『カイジ』シリーズをプロデューサーとして立ち上げ、ドラマ・映画『闇金ウシジマくん』シリーズ('10年〜)ではプロデュース・監督。最新作のドラマ『新しい王様』('19)では、プロデュース・脚本・監督。
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